満月 皺ばめる心を押しひろげ来るもの悲喜のいづれと知らず

北沢郁子『春のかぎり』(1976)

 

「皺ばめる心」がすごい。紙のように乾ききってくしゃくしゃになった心のようすが、端的に表されている。降り注ぐ満月の光は、皺になった心を丁寧に押し広げてゆく。じわじわと染み込んでくるその明るさを、「悲しみ」であるとか「喜び」であるとか表現してしまうのは、わりあい簡単なことだ。しかし、胸一杯に広がる感情は実のところ、一つの名前でまとめることなどできない。

初句・二句は、大胆な破調になっている(5・7を4・8に分けるのはかなり珍しいのでは)。しかし、「満月」とその後の一字空きに説得力があるので、意外なほど自然に感じられる。見上げた空に大きな満月を見つけたときの、はっとする感じ。

これから8月の終わりに向かって、月は日ごとに太っていく。満月の夜に私の心を満たすのは、一体どんな感情なのだろうか。

 

同じ歌集からもう3首。

 

  ひとり旅おそれずなりてゆくりなき町に小さき鋏を買ひぬ

  雪に埋もる無人の家に燈ともるを待ちつつながく眺めつづけぬ

  あれはすでに家の機能を終りしわが家雪昏れてつひに点らざりき

 

一人旅の途中で立ち寄った見知らぬ町。そこで買い求めた小さな鋏は、どこか不穏な光を放っている。「ひとり旅おそれずなりて」と言いながら、やっぱり一人の旅はどこか怖い。だからこそ、どきどきする。

2、3首目は、無人の「わが家」を振り返っている歌。点くはずがないと分かっていながら灯りが点くのを待ってしまう、切々とした人恋しさが印象的だ。「待ちつつながく眺めつづけぬ」というゆったりとしたフレーズがあるかと思えば、「家の機能を終りし」という硬質な言葉がひょいと出てきたりもして、同じ場面を歌っていてもリズムや調べが揺れているため、一連に緊張感が生まれている。

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