炎天下掃除のさなか後悔と仏教関係の本が湧きたり

片岡総一『海岸暗号化』(2012)

 

暑い日に掃除をしていて、ふつふつと後悔が湧きあがってくる。掃除を始めてしまったことを後悔している訳ではなく、ただもう無暗に後悔している、という雰囲気。読み終えた記憶のない大量の「仏教関係の本」は、迷いに満ちたこれまでの人生を象徴するかのよう。経典などでなく、あくまでも「仏教関係」というライトさが、またトホホな感じだ。え、というかこの人、なんだってまた炎天下で掃除なんかしているんだろう。ここは一体どこだ?……なんだか、読んでいる私までくらくらしてきた。

一昨日紹介した松尾祥子の歌は、「大豆、納豆、豆もやし」と同じ種類のものを畳みかけるところにおかしみが生じていたが、この歌の場合は、「後悔」と「仏教関係の本」という、別種のものが並列されているところがおかしい。読み手にざらっとした違和感が残るよう、非常にロジカルに設計されているが、夏のうんざりする暑さとか、大掃除をしているとどんどん思考がネガティブになってくる感じとか(それは私だけか?)、体感レベルでも共感できる。

 

  視床下部の広場で仲間はそれぞれの遊びをみつけ女と去りぬ

  Cの字は途中でぐっと曲がるから記憶を変える力があるのだ

  泣くとわかるいろんなことを 鳥のこと大叔母のこと過去のことなど

  感情を揺さぶられても翌日に砂利道を歩き正気に戻る

 

片岡総一の歌は、具体的なモノと抽象的な思考の境界が意図的に曖昧にされていたり、意外な繋がり方をしていたりする。すっとぼけているような、じわじわと不安になってくるような、それでいて懐かしいような、独特の読み心地。

1974年生まれの作者の、これが第一歌集。塔短歌会に所属しているらしいが、詳しいプロフィールはわからない。なんかすごく頭が良くて面白い方なんじゃないかと勝手に想像している。

最近なんだか良い歌集が次々に出て、どこから手を付けていいやらと思っている人も多いと思うが、この『海岸暗号化』は今年の必読歌集のひとつであるということを、ここでこっそり強調しておきたい。

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