田中雅子『令月』(1997年)
「蠟石」は、辞書によると蠟のような光沢・感触を持つ鉱物の総称とある。石あるいはアスファルトで舗装された道路に、柔らかい石で子供が落書きをしている。幼い子供の素朴な遊びであろう。しかしながら、下の句はやや不気味だ。子供は遊びに夢中になって頭を垂れるのであるが、顔を上げることもなくとっぷりと陽が暮れてゆくのである。もう、この子供はずっと顔を上げないかもしれない、そんな怖さを私はこの歌から感じてしまう。
散文的意味としては子供が暗くなるまで遊んでいるということだけである。子供が遊んでいる光景のスケッチとして読むほうがいいのかも知れないが、「頭を垂れたままとっぷりと」あたりの、微妙なニュアンスがやや不気味な風景を私に想像させる。「頭を垂れたまま」では子供を後頭部からのみ見ており、それらがまとめて「とっぷりと」暮れて行く様子は、日常がふと異化されるようである。意図して創作された不気味さという感じはしないが、作者の独特の感性が日常のなかでふと触れてしまう何物が描かれているように思う。
明かりからはずれた所へからだ傾(かし)げボタン付けおり七個も八個も
一年をかけて伸ばした髪切れば鱏(えい)の形に掃かれゆくなり
ボタンの取りつけをしている主体であるが、なぜか明かりから外れた所に体が傾いで行ってしまう。七個も八個もと、まるで追いたてられるようにボタンを付ける。また、切られた自分の髪が鱏の形に掃かれてゆく様子に、ふと主体の心がふるえる。繊細過ぎる感性の一方で、文体はむしろ淡白であろう。
いくたびも曲がりし家具屋の角の向こうわが家が在ると信じて曲がる
ストーブの石油のにおいを思い出す冬の日誰かがピアノを弾けば
よく陽の当る洗濯機の中布屑まで石のように乾きていたる
「わが家はあると信じて曲がる」という不安感は、半ば他愛なく半ば真剣なのであろう。「布屑まで石のように乾きていたる」は、布屑のスケッチであり何も作者の心の内は描かれていないが、どこか痛切な思いがあるように思う。石のように固く乾いた布屑に心はふかく共鳴している。
はっとして振り向けば口腔にひろがれる死んだ父の口のにおい
キッチンに落ちている鬱 蛇口より水を逃がしてやりぬ
黒板の字を正せずに終わりたる夢がまだ口の中に在るなり