逃げた女逃げた心よ逃げた詩よ吾飲めば君たちが酔いにき

佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』(1972)

 
先日、私が参加する「さまよえる歌人の会」の合宿があって(今年の合宿は「沼津~戸田~修善寺~三島を旅しながら30時間で80首作る」という過酷なメニューだったのだが、その顛末はここでは書かない)、沼津市若山牧水記念館に立ち寄った。牧水の一生がコンパクトにまとまった良い記念館だったのだが、何せ印象深かったのは、牧水の酒豪っぷりだ。一日一升は当たり前、死の床にあっても「薬」と称して朝昼晩がっつり酒を飲み(肝硬変なのに)、死後もなかなか身体が腐らず主治医に「生きたままアルコール漬けになっていたのかも」と書き残されている。そんな生涯を知って「やっぱりお酒はほどほどにしないとなー」と反面教師にするのかと思いきや、記念館入口には牧水にあやかって作られた「日本ほろよい学会」なるもののポスターがでかでかと貼られており、受付の女性が「今なら11月の学会に間に合いますよ!」と熱心に勧めてくださった。すごい。

学会では、佐佐木幸綱会長が「牧水と酒」と題して講演をした後、全国の地酒を飲んで楽しむのだという。いかにも楽しそうな催しだが、お猪口一杯で酔っぱらってしまう私は、参加する勇気が出ないでいる。

 
という訳で、佐佐木幸綱会長による酒の歌。

上の句の「逃げた~」三連続が泥臭く、どうしようもなく痛飲、という雰囲気がありありと伝わってくる。けれども次第に霞んでいくのは逃げていった女や詩の言葉たちばかりで、肝心の「俺」は、飲んでも飲んでも冴え冴えとしたまま。若々しく、ひりひりとした味わいが沁みる一首だ。

最新歌集『ムーンウォーク』(2011)からも引く。

 

  亡き友も出て来て飲む夜十本立つ空(から)の銚子の林の小道

  三軒目に飲みに行かんを向こうから見上げるような白犬が来る

  すぎゆきの時間が溶けていると思う今宵の酒の向こうは港

  寅どしの寅という字はつつしみの意味という つつしみ酒のんでいる

 

「逃げた女」の歌に比べると、全体的に穏やかな佇まい。「亡き友」や「見上げるような白犬」や「港」と溶け合っていくように、ゆっくりと酒を味わい、讃えながら飲んでいる様子が目に浮かぶ。

 

  うらさびしく酒恋いわたる牧水を引用しつつさびしくなりぬ

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