日の下に妻が立つとき咽喉(のど)長く家のくだかけは鳴きゐたりけり

 

                         島木赤彦『切火』(1915年)

 

 「くだかけ」は鶏のこと。日の下に妻が立っている。そのとき、家の鶏が鳴いていた。歌の情報量としてはそれだけであるが、描き方が独特で濃密な時間と空間が歌の中に広がる。初句から読み下してゆくと、三句の「咽喉長く」は妻の喉のことであるように一瞬読める。喉が長い喉とはどういうことなのだろう。喉が長いという形容だけで描かれる妻の姿はどこか異化されているようで、不気味だ。そんな感想を抱きつつ下の句に眼を移すと喉が赤かったのは鶏のことだとようやく了解される。かといって描かれる風景は決して安心できたり、安定的なものにはならない。なぜ、鶏は喉を長くして鳴いているのか。「長く」は第一義的には「喉」にかかるだろうが、「鳴きゐたりけり」にもかかるようであり、昼に長く残る鶏の声はどこかおどろおどろしい。初めに一瞬読み違えた通り、鶏には妻の影が重なるからなおさらのことである。言葉にはなっていないが、鶏の喉の赤さも鮮やか過ぎて不気味である(つたない連想であるが、茂吉の「赤光」の赤などを思い出す。)。「写生」を唱える赤彦にとっては現実の景に他ならないのであろうが、それはまた心象風景でもあるだろう。

 日常生活や文学生活における苦悶や葛藤のようなものが、風景のいびつな描き方の中に析出されている、一首からだけ判断するのは早計だが、そんな感じを受ける作である。

 

 なお、この歌には、赤彦が信州を出て上京する時の歌であるとの指摘がある。

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