おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひ知りぬれ

 

                                                                    よみ人しらず『古今集』       

 

  大方の人にとって同じはずの秋がくるけれど、わが身こそひときわ悲しい存在だと思ってしまうことよ。現代語訳するとだいたいこのような意味になるだろうか。現代人が読むと、自分ばかりが悲しいのではないよと、ついつい突っ込んでしまいそうだが、むろんそういう話ではないだろう。

 古典において、夏が衰えたのちの秋は悲しい季節である。みなが思う秋のかなしみを「私」もともに引き受けて、感じ入っているのである。季節の理としての秋の訪れの中に、人間が負ってしまった生得の身のかなしみがやってくる。そのかなしみからは人間であるかぎり誰も逃れ得ないのであろう。作者ひとりが悲しさを引き受けているのではない。人とともに引き受けつつ、「私」は特に悲しいのである。そして、「こそ~知りぬれ」という係り結びがどこかせつない。

 

 古今集中、この作の周辺の歌をすこし挙げる。

 

わがためにくる秋にしもあらなくに虫の音きけばまづぞかなしき

 

物ごとに秋ぞかなしくもみぢつつうつろひゆくを限りとおもへば

 

 

 

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