あやまちて野豚(のぶた)らのむれに入りてよりいつぴきの豚にまだ追われゐる

                        石川信夫『シネマ』(1936年)

 一読、不気味さが読者を襲ってくる歌だ。むろん、実景を歌ったものではない。深層心理とでもいうものが不意に顕在化した作とでもいえようか。
 ある、きっかけで作中主体は野豚の群れに混じってしまった。主体自身も豚になってしまったかのように,豚の群れの中で豚に追われている。「まだ追われゐる」というふうに,過去から現在まで,あるいは未来まで主体は豚の群れから抜け出ることができないのである。無限ループに入り込んでしまった感覚であろう。「あやまちて」は、何か致命的な間違いとしたというわけではない。日常にひそむちょっとした落とし穴に入ってしまい、そこからずうっと抜け出られないというところに、恐怖と宿命のようなものを感じる。
 この歌の怖いところは,心象風景でありながらどこか豚がリアリティーをもって迫って来るところにある。「いつぴきの豚」の「いつぴきの」は動かない。目の前の、すぐそこにある、特定の豚は迫ってくるのである。空想の歌の中に、ふっと出て来る臨場感のリアリティーが、空想が単なる空想ではないというリアリティ-を与えている。

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