ねむりつく方法みつけられなくてあるだけ莢の豆はじきだす

青柳守音『風ノカミ』(2003)
 
自慢ではないが寝つきの良い方で、眠れなくて困るということはほとんどない。むしろ、眠りすぎて失敗することの方がずっと多い。
そんな私でも、年に一度か二度くらいは、どうしてもうまく眠れない夜がある。目をつぶっても瞼の裏に光の粒が踊って見え、呼吸を整えるストレッチも一向に効果がなく、思い余ってAKB48の顔と名前を片っ端から覚え始めたところ逆に目が冴えてしまい、こんなことならもっと有効な時間の使い道がいくらでもあったのではないかと散々自分を責めるうちに朝方になってしまう、といった具合だ。
 
「あるだけ莢の豆はじきだす」は、眠るための手立てを頭の中で次々と繰り出していくときの比喩として、とても面白い。緑の豆粒がぽんぽん飛び出していく様子と、寝ようとすればするほど目が覚めてしまう感じとが、よく合っている。
……と、一応、比喩として読んでみたのだが、もしかすると語り手は、本当にボウル一杯の豆を用意して延々剥き続けたのかもしれない。歌集では、この歌の次に、
 
  ふっくりとみどりの豆を茹であげるゆびより熱い湯もうすみどり
 
が並んでいるのである。
 
  羊歯の葉のみどりがほどけだす五月ねがいはひとつ羊歯になりたい
  留守電の沈黙のなかふりだしに戻らないかと遠雷が鳴る
  母の秋は花瓶のなかにひとひらの紅葉しずめたまま病んでいた
  星型のセロファン透かし見る夏は真っ青でもう夕日が消えた
 
ひらがなを多用した柔らかく軽い文体のなかに、日々の疲れや哀しみがそっと織り込まれており、読んでいて、しんとした気持ちになる。
 
『風ノカミ』には、永井陽子や高瀬一誌、吉田優子を偲ぶ歌も収められている。
私は、永井陽子にも高瀬一誌にも吉田優子にも、そして青柳守音にも会ったことがない。けれども、歌集を手に取ることで、どこかでつながっているような気がしてくるのは、不思議なことだ。

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