きざすとききみはいなくて弦楽のうねりに脚をからめていたり

佐藤弓生『薄い街』(2010)
 
「きざす」とは微妙な言葉だが、ここでは単に恋心がめばえるというより、身体的に「きみ」を欲している、というニュアンスだろう。今すぐに抱きとめたい「きみ」は、ここにはいない。きみの不在によってぽっかりと空いてしまった穴を満たしていくように、彼女は弦楽に身を任せている。
 
下の句の「弦楽のうねりに脚をからめていたり」が絶妙だ。うねるような弦楽を聴く快楽は、確かに、脚を絡めあうときの艶かしさと似ているのではないだろうか。
 
官能的な歌を作るのは、意外に難しい。露骨なキーワードを入れれば良いというものでもないし、独りよがりになると読者が引いてしまう。
佐藤弓生は、官能を言葉に乗せるのがとてもうまい歌人だと思う。
 
  〈つれていって〉と〈つなぎとめて〉がせめぎあう娼館、はるのひるのわたしは
  背中からさぐられているさびしさに船は地球のうすかわめぐる
  あ・め と声に出したらこぼれくる空はこころを怺えきれずに
  あとかたもなかった 草の寝台で草の男と寝てたみたいに
 
露骨な言葉といえばせいぜい「娼館」くらいだが、わたしが「娼婦」ではなく「娼館」だといっているところに、作者の個性がある。一人の女の性を引き受けるというよりは、女たちの悲喜こもごもの声が身体の中で響いているようなイメージだろうか。
2首め、3首めは地球レベルで捉えられたエロスにどきどきする。
4首め、恋の終わりのあっけなさをいうときも、どこかに色っぽさが漂っている。

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