妹とわれとあはせて百キロの巨漢となればあはれ自転車

荻原裕幸『青年霊歌』(1988)

 

100kgといえば石塚英彦よりやや軽いくらいの体重で、一人ならば巨漢といえるが、男女ふたりの重さとしては軽い方に入るのではないか。大きな兄が小さくて軽い妹を後ろに乗せてすいすい走っているパターンと、ふたりとも50kg前後で体格差ないパターンが考えられるが、個人的には、後者の方がしっくりくる(というか、ちょっとどきどきする)。「あはれ自転車」に、今にも倒れそうな危なっかしさを感じるからだ。
 
いずれにせよ、この歌の肝は「巨漢」だろう。ただ単に「あはせて百キロ」と事実を述べるだけでは別に面白くないが、「百キロの巨漢」という幻の像が立ち上げられたことによって、ゆらゆらと進んでいく自転車の重みが、生々しく伝わってくる。兄と妹の影が完全に一つに重なっているように感じられるところも、妖しくて魅力的だ。
  
同じ連作に収められた、
 
  妹はペットショップに散財す鸚鵡に恋を打ち明けられて
 
  たはむれに釦をはづす妹よ悪意はひとをうつくしくする
 
なども、兄妹モノが好きな人は確実にぐっとくるだろう。
 
荻原裕幸の第一歌集『青年霊歌―アドレッセンス・スピリッツ―』には、青春時代にしか許されない鬱屈と甘美が充満している。
 
  クリーニング店の軒先に雪さけながらいま二冊目の村上春樹
 
  命名はまたも拒まれわが夢の笹食ふ.ジャイアントパンダ「玲玲(リンリン)」
 
  朝に夜に凹(へこ)むライオン歯磨よわれのこころのかたち捉へて
 
  弓月光(ゆづきひかる)読みつつ過ごす二十五を人生と呼ぶことの虚しさ
 
固有名詞の出てくる歌を拾ってみた。今読み返すと、80年代の気配が色濃い。

 

ちなみに、かつて上野動物園にいた「リンリン」は「陵陵」と書き、この歌に詠まれたパンダ(「トントン」か?)とは別人。「社会を拒んでいる訳じゃない、社会の方が僕を拒んでいるのさ」とうそぶき、公式には名付けられることのなかった「玲玲」という美しい名でパンダを呼び続ける、青年の屈折が印象深い。

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