雪の上を驟雨過ぎしが数千の地下より天に向けし銃口

塚本邦雄『日本人霊歌』(1958)

 

一面の雪の上に、ざあっと音を立てて降り注ぐ白い驟雨。そのまっすぐな線に呼応するように、地下では、夥しい数の銃口が垂直に天を指している。

「驟雨」と「銃口」は、「国家権力」VS「革命家」というような暗喩と受け取るべきなのかもしれないけれど、ひとまずは、驟雨と銃口が地を隔てて反転する不穏な構図の美しさをそのまま味わっておきたい。真っ白な地上と暗い地下。地へ向かうものと空に向くもの。二つの世界のコントラストが鮮やかな一首である。

 

塚本邦雄の短歌は、絵画に喩えるなら油絵だ。木版画のかすれや水彩画の滲みは一切ない。キャンバスに余白を残さず、隅々までくっきりとした色彩で埋め尽くす。

そういう印象と関連しているのかもしれないが、塚本邦雄の歌には、季節感というものがない。季節の名前はたくさん出てくるのだが、季節ごとの温度差があまり感じられないのだ。

 

  悪運つよき青年 春の休日をなに著ても飛行士にしか見えぬ

  あらあらしく死へとほざかる青年ら夏山に腸のごとき綱垂り

  紅葉(こうえふ)のこころ暗きに縛されて晒井(さらしゐ)に降りゆく若者は

  聖夜劇天使の子らの髪赭し髪黒し やがて神うとみだす

 

試みに、春夏秋冬一首ずつ引いてみた。どれも私の好きな歌なのだが、ここに登場する若者たちは皆――何を着ても飛行士然としてしまう青年も、夏山に登る青年たちも――苛烈な意志を持って死に向かっていくような一途さがあり、その強靭な自意識によって、四季の巡りまで拒否しているかのように見えるのである。

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