牡丹雪樹林(じゆりん)にふかくふりこめばかくも豊かにてものみなゆらぐ

坪野哲久『桜』(1940)

 

「日々のクオリア」の石川担当回もあとわずかになった。牡丹雪の時季にはまだ早いのだが、今年のはじめから気になっていた(そして古書店で『坪野哲久全歌集』を買ってしまうきっかけになった)一首なので、思い残すことのないように引いておきたい。

際限なく樹林に降り続ける、重く湿った牡丹雪。「かくも豊かにて」には、そのような光景を客観的に評価する冷静さが感じられる。たとえばこの後に、「かくも豊かな季節を思ふ」とか、「かくも豊かにて我はさびしゑ」とか、あっさりとした結句が続いていたならば、実に凡庸な歌で終わっていただろう。

この一首を非凡なものにしているのは、何と言っても結句の「ものみなゆらぐ」だ。牡丹雪の重さが、そして、雪の降る美しい風景が、世界の全てを揺るがせる。このダイナミックな把握はどうだろう。「ものみなゆらぐ」と感じる語り手の心も、やはり熱くぐらぐらと揺れているようだ。

「牡丹雪樹林にふかくふりこめば」で「BO」「JU」「FU」「FU」とくぐもった音を重ねておいて、「かくも豊かにて」の「KA」音でぱっと明るく転換され、一気に結句へとなだれ込む、韻律の運び方も非常に美しい。

ほぼ同時期に刊行された合同歌集『新風十人』にも収められている歌だが、こちらでは「豊か」が「豊(ゆたか)」という表記になっている。

 

  牡丹雪ふり昏(くら)むとき人われや眉おもおもとかなしみ覚ゆ

 

同じころの作。こちらは、「人われや」以降がやや理屈っぽく、個人的には「ものみなゆらぐ」ほどのインパクトはない。ただ、「ふり昏む」という語はこよなく美しい。

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