岡部桂一郎『木星』(1969年)
昨年(2012年)晩秋、岡部桂一郎は亡くなった。97歳。私たちの横浜歌人会では、会報第100号(2011年2月)で岡部へのインタビューを行った。会の大先輩である岡部にぜひお話をうかがいたいと、お願いしたのだった。由紀子夫人が快く引き受けてくださった。ありがたいことだった。
ただひとつ昏れゆく心ぽったりと土に椿のくれないは落つ
夕かげを歩めるわれは人にして額つめたし花とずるとき
光りつつくずれんとする花びらに冷えびえとしてわが影させり
晩春の空にあそべる夕雲は土に乱れし花の上に来つ
うつし身はあらわとなりてまかがやく夕焼空にあがる遮断機
一冊の冒頭には、こうした作品が置かれている。読者はすぐに、その独特の世界に引きずり込まれる。端正な構図。それは硬質さと美しさをもっている。しかしそこにある景は、不思議と現実感がない。いや、ないのではなく、別の現実がある、ということなのだと思う。
木々の影みないつせいに北させばわれは立ちたり幼な子つれて
大寒(だいかん)のにごる日の昏れ思わざる地下の穴より電車出てくる
あけがたの舗道に小さき水溜り猫の映りてとび越えしのみ
障子に電柱の影さしているわが四十の昼さがりにて
上空より撒かれしビラをひろう手よ見さだむるごと機は旋回す
そしてそこには、私以外の人がいない。正確にいえば、私以外の人もいる。しかし彼らは、私がいなければたぶんいないのだ。人は他者によってその輪郭を明らかにされる。しかし、岡部はそのように輪郭を描かない。私のみで立つ。そんな意志をもって岡部はいるのだろう。苦しい意志である。
おどおどとありし日過ぎてたぎる湯に卵をひとつわれは沈めぬ
紺色の上衣さがれる壁の釘 人に使わるることながきかな
盗まれし脊広は今宵おどりつつわれの見知らぬ町逃れゆく
社会や組織は力として関わってくる。力は、yesかnoかを聞いてくる。むろん、noは求められていない。
追突のトラックの音するどくて群集のなかわれは笑えり
どのような笑いだったのだろう。明るい笑いなのか、暗い笑いなのか。自ずと笑ったのか、無理して笑ったのか。どうして笑ったのか。何を笑ったのか。ここには何も書かれていない。
おそらく、笑わなかったのだ。「追突のトラックの音」は私とは無縁のものだ。たまたま聞いたに過ぎない。そのとき、たまたま「群集」のなかにいたけれど、「群集」もまた私とは無縁だ。私は私だけで立っている。力は、yesかnoかを聞いてくる。岡部は、yesともnoとも答えない。ただ、笑いだけを返す。笑いという、多義的で曖昧なものを。多義的で曖昧だからこそ鋭いものを。だから笑ってはいないのだ。
「だけどね。隠してることはね、あからさまに出てくる、ありがたいと思う。」(「横浜歌人会会報」第100号、p16)
「この生きてるときの、この冷たさはね、生きている感じの冷たさと違うんだ。もっとね、不気味な…。」(同上、p17)
インタビューの際、前者は、由紀子夫人が岡部の「隠れファン」を紹介したときに、後者は、夫人が冷たいミルク紅茶を手渡したときにつぶやいた、岡部のことばである。多義的で曖昧だからこそ鋭いもの。岡部の座標軸は、最晩年までぶれることはなかった。