石田比呂志『邯鄲線』(2010年)
『邯鄲線』は石田比呂志の17冊目の歌集。あとがきに「一向に代わり映えのしないものばかりだが」と記すが、だから石田比呂志なのだ。
人ハミナ生老病死身ニシ負イ此ノ世遊戯(ユウゲ)の天涯ノ孤児
骰子(さいころ)を振ればころりと転がって賽の河原の石ころである
巻頭の2首。ここにあるのは、変わらないことの意志なのだと思う。
躓きし足よりその日そこにいし石の不運の方が痛しも
ああ、そうか、と思う。躓いた足は当然痛いが、それよりそこにたまたまあった石のほうが痛いのだという。いや違う。そこにたまたまいた石の不運のほうが痛いのだ。そうか、石はいたのである。その石の不運が痛いのだ。そう、石は生きているのである。だから、運も不運もある。石もなかなかたいへんだ。むろん、石田もたいへんだ。なぜなら、この石は石田自身なのだから。
ひとひらの雲がひもじく浮かびいて地上無人の乳母車行く
底抜けの空一区画映しいる水溜り崩さぬように跨ぎぬ
首体操している時によぎりたる煩悩一つ首振れば消ゆ
いずくゆか起りし風がいずくへか消えゆく途次を吹きおり庭に
包丁の砥(と)にし当つれば花冷えの今日のひと日がすとんと昏れつ
手触り感についていえばシャープさ、捉え方についていえば確かさ。そんなことばが浮かんでくる。自己と風景の関係が、くっきりと描かれている。つまり、変わらないのはこのことであり、それは意志によって支えられているのだと思う。
日常の健やかなありようを教えてくれる、そんな一冊である。
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