本当のことを伝へて憎まれてあげるくらゐの愛はなくつて

枡野浩一「短歌ヴァーサス」創刊号(2003年)

 

「愛について」と題する一連三十首から。

ふだんは新仮名表記を使う作者だが、ここでは旧仮名表記を採用している。「伝へて」「くらゐ」「なくつて」などの表記の下に枡野浩一の名前がついているながめは、奇妙にして新鮮だ。

 

ある相手に対する作中の<私>の思い、本音と建前の使い分け方を述べる歌だ。あの人にはね、本心をいって恨まれたらかなわないから社交辞令ですませておくよ、親身になってやる義理はないもの。あるあるこういうこと、と共感を呼ぶ内容だろう。「恨まれる」ではなく「憎まれる」とするのが表現の工夫だ。また、「憎まれるくらゐ」でなく「恨まれてあげるくらゐ」とする。結句は「なくつて」と言いさしの形にして、叙述を完結させない。仮に歌が<本当のことを伝へて恨まれるほどの愛などわたしにはない>だったら、面白くも何ともなくなってしまう。ことばの呼吸を知っている作者だ。

 

歌の場面はいろいろ考えられる。たとえば、「このヘアスタイルどう?」と聞かれた場合。

愛がある相手には「前髪が長すぎる、毛先に動きがない、もっとボリューム感を」など微に入り細にわたる文句をつけるところだが、どうでもいい相手なので「いいね、似合うね」で済ます。歌が伝えるのは、あなたをけなす人は実はあなたのことを思っている人である、という人生の真実だ。愛とは憎まれてあげること、といってもいい。

 

短歌について感想をいったり書いたりするたびに、私はこの歌を思い出す。いいと思う作品にはあれこれ注文をつけたくなるし、そうでない場合は「いい歌ですね」で済ませたくなる。この一年間、もしもこのページに私が文句をつける作品が登場するとしたら、それは作品に対する愛のなせる技だと思っていただきたい。

 

枡野浩一著『かんたん短歌の作り方』(2000年 筑摩書房)は、すぐれた入門書だ。作歌の心得として、<「しらふで口にできる言葉」だけをつかいましょう。><短歌以外の形式で表現したほうが面白くなる内容のものは、短歌にしては駄目です。><自分の顔に似合わない短歌は、つくらないようにしましょう>など鋭い指南が並ぶ。

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