地の上に立ちてほのぼの空仰ぐ人間というかたちに生きて

川端 弘『白と緑』(2005年)

 

『白と緑』は、川端弘の、70代の作品を収める4冊目の歌集である。

 

やわらかく若葉を濡らし雨の降る幾千年のなかの一日

小さい蟻が小さい枝を匍いのぼるこんな小さな風景もある

傘持つは人間のみと思いつつ不器用にわれは傘ひらきいる

東京の空に大きな虹立てり高層ビルはみな虹の下

らっきょうの白きが朝の食卓にそのしずかなる光を放つ

 

生きていることを楽しんでいる、そんな作品だと思う。「幾千年のなかの一日」「こんな小さな風景」。川端は、素直につぶやく。「傘持つは人間のみ」「高層ビルはみな虹の下」。川端は、こんな発見を喜ぶ。「そのしずかなる光を放つ」。川端は、らっきょうの輝きを大切にする。日々の生活で出会う、小さいもの、小さなことに自然体で向き合いながら、それらを慈しむ。

最初の歌集『夜想曲』(1965年)には、たとえばこんな作品が置かれている。

 

鶏小舎(とりごや)に卵二つがまろびおりいたく寂(しず)けき生(せい)の風貌

わが降りしバスの音(ね)遠く去りゆけりそれより聞こゆ田蛙(たかわず)の声

晩秋の朝の光のかがよえば温みをもちて立つビルディング

無造作に児が拾いたる芥にて母は観念的に拒否せり

寂かなるプラットホームに降りしとき最も真実らしき顔せり

 

素直でありながら、しかしすこし角度をもった視線は、このころから変わらない。「観念的に拒否せり」「最も真実らしき顔」といった角度は危ない感じもあるが、とても魅力的だ。把握と定着の早さが、こうしたフレーズに無駄な意味をもたせないため、一首として成功しているのだろう。

 

地の上に立ちてほのぼの空仰ぐ人間というかたちに生きて

 

生きていることを楽しむ。それは、人間であることを楽しむことだ。このかたちとは、形態や状態、形式、態度など、かたちということばが担うさまざまな意味を含んでいる。つまり、人間であることのすべてを肯定する、そんな精神のありよう。地の上に立ち空を仰ぐ。それは、人間のもっとも基本にある身体の営み。そんなことを思い出させてくれる、さわやかな一首である。

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