心臓穿刺して鮮烈に血は噴き出ず Sursum cordaと鳴く海猽の

原田禹雄 『錐体外路』(1960年)

 

*「出」に「い」の、「海猽」に「かいめい」のルビ。”Sursum corda”に「汝ら心を清くせよの意」の注。

 

先日第148回芥川賞に選ばれた黒田夏子の「abさんご」は、同賞初の横書き小説として話題になった。横書きの小説としては、先に水村美苗の『私小説 from left to right』があるが、これは日本語の文章の間に英文の一節を置くスタイルの作品であり、横書きはいわば必然だった。

 

黒田によれば横書きにするわけは、小学校の教科書がみな横書きとなるなか国語の教科書だけが縦書きであり、「縦書きにするというだけで、文学的なムードみたいなものがまつわってきたような感じがして、それを振りはらってしまいたい」(YouTube 受賞会見)からだという。読売新聞はこれを<「変な文学的情緒を振り払いたい」と縦から横書きに変わり>とまとめている。

 

短歌は、抒情の器だといわれる。どんなことばでも、5・7・5・7・7・の定型に流しこんだとたん、「文学的情緒」が生じる。生じてしまう。油断するとすぐ情緒過多でぐじゅぐじゅになる。そうか、横書きにすれば短歌も少しは「文学的情緒」から自由になれるかもしれない、と黒田の発言に私は思い、それから、このページの歌がみな横書き表記であることを思いだした。

 

どうだろう。この画面の冒頭に日替わりで登場する一首は、その歌が縦書きで表記されたときに比べて、文学的な情緒が薄まっているだろうか。

 

実作者や読者の中には、縦書きでない短歌は短歌ではないと考える人もいるかもしれない。しかし、日本語がいま採用している表記文字の本家本元である中国では、とうに横書きがふつうになっている。詩歌小説も横書きで書かれ、読まれている。慣れ親しんでしまえば、それがあたりまえになるようだ。

 

上の歌を収める『錐体外路』(すいたいがいろ)は、もともと横書き表記の、当時としても現在としても珍しい歌集だ。1927年生まれの原田禹雄が横書きを採用した意図は、黒田夏子と重なるところがあったかもしれない。

 

一首は、「心臓穿刺」「鮮烈」「血」「噴き出ず」と、初句からインパクトのあることばを並べたうえで、”Sursum corda”とラテン語でハイブロウに行く。「海猽」は、モルモットのことだ。小動物を使う実験に取材した、硬質な手ざわりの歌である。

原田の歌集は、『現代短歌全集 第十四巻』(筑摩書房)に収録されている。つまり、歌壇的な評価を受けている。横書きを採用してこの後に評価を受けた歌集としては、原田の一歳下になる岡井隆の『伊太利亜』(2004年)がある。『錐体外路』出版の44年後の歌集だ。

 

小説の分野と同様、短歌の分野も横書きの作品については、まだ黎明期にある。

 

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