黒峠とふ峠ありにし あるひは日本の地図にはあらぬ

葛原妙子『原牛』(1960年)

*原作の漢字は旧字体。

作者は、いまから百六年前すなわち1907年の今日2月5日に生まれ、1985年9月2日に78歳で死去した。

三句のない歌として知られる作だ。<黒峠/とふ峠ありにし/ あるひは日本の/地図にはあらぬ>と5・9・8・7に切って、二十九音。または、初句二句を<黒峠とふ/峠ありにし>と7・7に切ってもいい。下の句に「あるひは」とあるが、旧仮名遣いでこう書くのは、辞書によれば「後世の慣用」ないし「中世以降の誤り」だ。葛原に限らず、大歌人といわれる作者の中にも「あるひは」愛用者は少なくないので、油断していると読者は「ひ」と「い」の間で混乱する。

 

むかし黒峠という名の峠があった。もしかしたら日本の地図にはないかもしれない――と歌はいう。私は短歌を読みはじめてほどなくこの歌に出会い、強い印象を受けた。「黒峠」というミステリアスな名前。「あり」といっておきながら、すぐに「あらぬ」という、その言い放ち方。

「あり」「ある」「あら」のたたみかけ。「黒峠」とは一体何だろう。想像がふくらんだ。地図にはない、つまり公的には知られていないけれど、知る人ぞ知るところ、または<わたし>だけが知っている場所。たぶん現実にはない、心の中にだけ存在する場所だ。読者の想像力にゆだねられ、歌はどこまでもひろがってゆく。一首全体が喩のような歌だ。

その後、前登志夫の『子午線の繭』で<けものみちひそかに折れる山の上にそこよりゆけぬ場所を知りたり>(「上」に「へ」のルビ)を読んだとき、ああこれは黒峠だと思った。川野里子によれば、実の世界において「黒峠は実在しており、広島県山県郡にあり、また私の故郷の大分県にもある」(http://kawano-satoko.com/ja/169/

)という。一方、歌の中の虚の世界において「黒峠」は、存在しない場所として差し出されるだろう。

 

三句がないことは、誰が名付けたのか「三句欠落」と呼ばれる。よく、黒峠が「地図にあらぬ」ことを三句欠落が表わすともいわれるが、つじつまが合いすぎる解釈ではないか。「黒峠とふ峠ありにし」と作者は書いて筆を休めた。つづくことばを考えていると「あるひは日本の地図にはあらぬ」がするりと出て来、するとそれ以外のフレーズはあり得なくなった。という事情を想像する。

 

実作者としての私は、この歌を見るたびに、作歌姿勢を問われる思いだ。読み手の声というものは、どの程度聞くべきなのか。いまもしもこの歌を無記名詠草として歌会に出したら、非難の雨を浴びるだろう。いわく、こんな字足らずは短歌として受け入れられない、四句しかない歌を作るのは百年早い、等々。読み手の声に従っていたら、百年たたないとこういう歌は作れないのだ。人の意見に耳を貸さない、という態度も必要なのではないか。まわりの全員が駄目といっても、自分の道を行く。

いずれにせよ葛原妙子はガンとしてこういう歌を作り、のみならず短歌界で低からぬ認知度と評価を得た。いったいどうやって?

 

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