カミガミノムレアソブ カノ/ムラサキノウミノ アカツキ/ アブラアビ トリハシニウキ/パケム ウィルムクエ カノ

中村真一郎「鳩よ!」(1991年5月号)特集「湾岸の海の神へ」

*改行を/で示した。

 

「鳩よ!」はマガジンハウスが1983年に創刊し、2002年5月号で休刊した詩の雑誌だ。湾岸戦争たけなわの1991年、同誌は一冊まるごとの特集「湾岸の海の神へ」を組んだ。特集の冒頭と編集後記でこう述べる。

 

以下引用

戦争は何をもたらしたのか? この地球に、わたしたち人類に。世界中の詩人・作家たちから、戦火の湾岸へ、その傷跡へ、そして、今も原油にまみれているウミウたちへの歌がはじまる。(冒頭のページ)

湾岸戦争のさなか、日本の詩人たちへ、空爆下のバクダッドへ、エルサレムへ、ニューヨークへ、モスクワへ、緊急の依頼をしました。依頼状には、油にまみれたペルシャ湾のウミウの写真を添えました。(編集後記 三浦実)

引用ここまで

 

編集後記の末尾には、依頼状に添えた一枚だろう、油をかぶった鳥の写真が掲載されている。湾岸戦争当時「イラク軍の油田放火で油まみれになったウミウ」の映像として日本を含む世界のマスメディアに盛んに流れたものからの写真だ。ウミウの映像は、その後アメリカによるやらせであることが判明した。広告代理店による世論操作だといわれている。もちろん雑誌発行当時は、誰もそんなことは知らない。多くの詩人や作家が、鳥の写真に寄りそう内容の作品を寄せた。

当時はまだ存命だった中村真一郎(1918―1997)もその一人だ。

 

カルメン・パキス(へいわのうた)  中村真一郎

カミガミノムレアソブ カノ
ムラサキノウミノ アカツキ
アブラアビ トリハシニウキ
パケム ウィルムクエ カノ

註 4行目は、アエネイスの歌い出し「我は人と戦いとを歌う」への反論です

また、田村隆一(1923―1998)はこう書いた。

 

ウミウが歌った    田村隆一

目が見えなくなったよ 涙が
重くなってしまってさ

飛べなくなってしまったよ 羽根が
鉛になってしまってさ

魚も空も 死んだ海に
ただよっているだけで

人間は馬鹿だから 目が見えなくなったのに
気がつかない 心が鉛になったのも
知らん顔 空虚な言葉をわめきたてているだけで

 

日本の寄稿者の中には、現在活躍中の詩人も数多い。いま、図書館で借りて一冊をコピーした束を手にしていると、冷たい汗を感じる。作品発表の22年後、とある一読者の目の前で生き恥をさらしている詩人たち。それはそのまま、あったかもしれない自分の姿だ。もしも「鳩よ!」が歌人にも寄稿を依頼し、もしも私がそのときすでに短歌の作者であり依頼を受けていたとしたら?

 

寄稿者たちの中に、ひとりだけ予言者のような人がいた。
永六輔はこう書く。

 

鳥よ!    永 六輔

(前略)
「カメラよ!」
原油塗れの鳥を撮る前に。
何か撮るものはなかったのか?
カメラマンの趣味で
地球の終末を読まされる身にもなれ。
僕は目を信用しない。
映像を信用したくない。
マジックで見事にだまされる度に、
自分の目を信用しない。
情報なら音も欲しい。
「鳥よ!」
悲しげに啼くことは出来なかったのか。
「カメラよ!」
原油に塗れた鳥の映像は
ひょっとして検閲を済ませたもの
情報戦に利用されてはいなかったか。
(後略)

 

これを読んで、私は永六輔を尊敬した。洞察力のすごさ。いや逆にいえば、詩人たちの洞察力が鈍すぎるということなのだが、それにしても大したものだ。百戦錬磨の放送人はこういうものか。それともやはり、詩人や作家たちが世間知らずにすぎるのか。

 

1991年当時、私はまだ短歌と無縁だったので、新聞や雑誌にどのような歌が掲載されたのか知らないが、ウミウを嘆く「反戦」の歌が多く作られたであろうことは想像に難くない。実際、ウミウ映像以降やらせ発覚以前の間に刊行されたらしい歌集では、ときおりウミウの歌を見かける。世論操作にたやすく乗るという観点において、詩人と歌人は通じあうかもしれない。
みなさん、永六輔の爪の垢を煎じて飲みましょう、といってみたくなるのである。

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