消燈のころ世をしのぶごとく来て美しかりき汝がサングラス 

上野久雄『夕鮎』(1992年)

 

上野久雄は、1927年の明日2月22日に生まれ、2008年9月17日に81歳で死去した。

前回(2月19日)紹介した岡井隆は、上野の一歳年下で、二人はともに歌誌「未来」の初期同人である。

 

歌は、「五月のひかり――入院Ⅱ」一連の中に置かれる。密会の場面だ。いや、密会といっても舞台は病院であり、病人の<わたし>がベッドにつながれている以上そう危ういことにはなりそうもなく、いわば健全な密会だが、というより面会なのだが、それでも一読して「まあ、すてき」といいたくなる甘やかな香りを放つ。クラシカルにいえば映画の一場面のような歌だ。

 

消燈時間は病院によりさまざまだが、午後8時から10時の間に設定するところが多いだろう。その消燈のころ、男のもとへひっそりと女が来た。「世をしのぶごとく」という、通俗すれすれのフレーズがいい。歌はさらに「美しかりき」「汝がサングラス」(ながサングラス)と、通俗すれすれフレーズをたたみかける。夜の逢瀬にサングラスをかけてくるなんて、じつに俳優のような女だ。

 

「美しかりき」ということばは、読み手の頭の隅にロダンの彫刻「美しかりしオーミエール」を呼びだすだろう。かつて絶世の美女といわれたオーミエールの、老いふかまった肉体。国立西洋美術館サイトの解説は「老醜をさらす肉体を過酷なまでに迫真的なモデリングで捉えた彫刻」だというけれど、この彫刻が「老醜をさらす肉体」なのか、それとも「年を重ねた女の存在感ある肉体」なのかは意見が別れるところだろう。ともあれ、「サングラス」の「汝」にオーミエールを重ねて読むのは読者の自由である。

 

歌は、状況設定がやや出来過ぎている、といえなくもない。だが、入院という気の滅入りがちな場面に、あえて「汝がサングラス」の華やぎを投入したところに作者の意図があるだろう。女性の訪問は、現実にこういうことがあったのかもしれないし、作者の想像風景なのかもしれない。それはどちらでもいいことだ。読者の関知するところではない。読み手が享受するのは、歌のことばによって作られる歌の世界であって、それ以上でも以下でもない。作者に実話だといわれて喜び、想像だといわれて「なあんだ」と思うのは愚かである。

上野久雄は、官能の匂いほのかにただよう歌のすぐれた作り手だった。

 

どちらからともなく腕時計はずし合う夜半なれば他にすることもなく 『夕鮎』

十四階より下りて一度停まりしが人乗りて来ずさらに寄り添う    『冬の旅』

*「下」に「くだ」のルビ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です