一日の終らんとする食卓に遠足の顛末妻は伝うる

永田淳『湖をさがす』(2012年)

 

ある夜の、夫婦の会話風景だ。一日が終わろうとする頃、その日の遠足で起きた出来事を、テーブルごしに妻が<わたし>に話す。「遠足」は誰の遠足だろう。妻が自分一人で行った遠足、友人と行った遠足、夫婦の子供と行った遠足。いろいろに取れるが、歌集の中には「息子」「子ら」の歌があるので、三つ目にあげた子供の遠足と取るのが自然かもしれない。もしもそうでない場合は、別の表現になるはずだ。

 

「遠足の顛末」の「顛末」の部分で歌になった。きっと遠足で何か事件があったのだろう。一日の終わる頃には、笑い話にできるほどの事件。「えんそくのてんまつ」とたっぷり9音を使う。同じ9音でも「遠足の出来事」ではつまらない。結句「妻は伝うる」は、連体形止めだ。「伝える」と口語を使えば素直に終止形で終わるが、「終らんとする」という文語的いいまわしに合わせて文語「伝う」を使った。5・7・5・9・7の三十三音から、仲のいい夫婦の姿が伝わる。何でもない一日の一場面をスケッチして、読み手をほのぼのさせる。

 

『湖をさがす』は、作者が2011年にふらんす堂のインターネット・サイトで毎日一首ずつ発表した合計365首をまとめた一冊だ。上の歌は、3月11日の日付を持つ。発表にあたり、作者には当日の地震と津波を詠むという選択もあった。しかし、作者は震災を素材にしなかった。平和な家族の姿を提出した。

 

いや、素材にしなかった、という言い方は正確ではない。2011年3月11日という日付とセットで読んだとき、歌が否応なく社会批評性を帯びるだろうことは、作者も承知していただろう。3月11日当日はまだ災害の全容が明らかになっていなかったとはいえ、途方もないことが起きたのは、否定できない事実である。さあ、どうするか。震災当日の日本のひとつの姿として、西日本に住むある家族の風景を差し出してみせる。それが永田淳の選択だった。

もしも作者が東日本在住者だとしたら、「遠足の顛末」は、地震による何らかの出来事と読めるかもしれない。だが、歌集「あとがき」によれば作者は「琵琶湖へは、車で三十分も走れば着いてしまう」「洛北岩倉」に住んでいる。遠足と地震の関わりは、歌から読みとりにくい。

遠足の歌につづいて、次のような歌が置かれる。

 

3月12日  深更にこの部屋のみを灯ともしぬリキュール類と書かれて麦酒

3月13日  湯上がりにタオルを裸に巻きつけて生返事ばかりの息子であるよ

3月14日  定食の焼きサンマの背骨まで食ってしまえり松村正直

 

3月12日には、福島第1原発1号機が水素爆発したが、歌のなかでは淡々と日々がすぎてゆく。マスメディアが津波と原発事故の報道一色となっている時期、声高に歌でものをいわない。むしろ意識してふだんの生活を描いてゆく。節度ある一つの行き方である。

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