人工の川のほとりのくらがりで火を点さむと二人は屈む

矢部雅之『友達ニ出会フノハ良イ事』(2003年)

一首は「花火」という連作の最初におかれている。
日本で花火がよく行われるようになったのは江戸時代のこと。
有名な両国の花火は、享保年間、凶作と疫病の流行で多くの死者が出た際に、慰霊と悪疫退散をかねて行われた水神祭の余興の献上花火が起源と伝えられる。
打ち上げ花火にしても、手花火にしても、子供たちは歓声をあげてたのしむが、すずしげな色彩をはなってすっと消えてゆく花火は儚く、送り火に通じる印象もある。
最近はコンビニエンス・ストアにもならんでいるが、手花火の安っぽい色彩はかえってなつかしく、いかにも夏の風物詩という感じがする。

人工の川、とはどんな川だろう。
公園や大きなショッピングセンターなどに、人工の水路がつくられていることがあるが、一首の川はもうすこし大きな川、護岸工事で岸をかためられた川のことではないか。

一首には花火という言葉もなければ、花火の美しさをめでる言葉もない。
ただ、二人の屈むくらがりと、火を点すという行為がえがかれるだけだ。
場面と言葉のその切り取り方に、暗示性がある。

石田波郷の花火の句に次のようなものがある。

  手花火を命継ぐ如燃やすなり

波郷が「命継ぐ」と言っているのに近いことを、一首は言外に、もっと儚く言おうとしている気がするのだ。
人工の川、ということばには、若いふたりの暮らす都市の風景のさみしさが感じられる。
背景にはマンションやビルが立ち、たくさんの小さな窓が並んでいるだろう。
そして、人工の川にも水は流れ、その水はやがて海にそそぐ。

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