まさか俺、一生ここで菓子パンを齧ってるんじゃないだろうなと

穂村弘「時をかける靴下」朝日新聞2002年3月26日夕刊コラム

*「齧」に「かじ」のルビ

 

人はどうやって短歌と出会うのだろう。

この一首に出会って短歌をはじめた、という一首が私にはない。書籍雑誌でいろいろな歌を目にするうち自然と興味をもった、というのでもない。私が短歌に興味をもったのは、ある日新聞のコラムで吸引力抜群の文章に出会い、それを書いた人の肩書が「歌人」だったからだ。「ある日」が2002年の今日3月26日であったことを、ついさきほど私は思いだした、というより新聞の切り抜きを整理していて発見した。

 

書き手の名は穂村弘。当時、朝日新聞の夕刊には「時のかたち」という四日連続のコラムがあり、一人の執筆者が毎回、小題を伴う五百字ほどの文章を寄稿していた。

3月26日に「時をかける靴下」を読み、おもしろい! と私は思った。

3月27日に「さかのぼり嫉妬」を読み、おもしろい! と私は思った。

3月28日に「ひとりドミノ倒し」を読み、おもしろい! と私は思った。

3月29日に「ボールペンで生まれ変わる」を読み、おもしろい! と私は思った。そして、呆然とした。

いったいこの穂村弘というのは何者か?

それまでの書き手は、初日こそ読ませても二日目からトーンダウンする人が大半で、どんなに健闘する人でも読ませて三日目までだった。それがこの人のコラムは、初日から四日目まで完勝なのだ。読み物としての面白さがテンション高く持続する。五百字少々の中で、いかに自分がダメ男かをゆるゆる語るのだが、語り口に芸がある。計算され構築されつくしたゆるゆる加減であり、ダメさ加減なのだ。

 

穂村弘という名前は見たことがなかった。肩書は「歌人」とある。私は図書館へ行き、穂村弘の著書を皮切りに、短歌関係の書物を片はしから読みだした。この「ただ者じゃない人」が関わっている以上、短歌というジャンルには何かがあるはずだ。そう思いこんだ。思いこみの一念で読み進み、気がついたときには全身短歌漬けとなっていたのである。

 

四篇のコラムは現在、穂村弘著『もうおうちへかえりましょう』(2004年 小学館)に収録されている。このページの冒頭に掲げた一行は、「時をかける靴下」から5・7・5・7・7になっている部分を便宜的に取りだしたものであって、一首の歌ではない。コラムの内容は歌と無縁であり、短歌の「た」の字も出てこない。いずれにせよ、それまで歌にはまったく無関心だった人間を短歌漬けにさせてしまうだけのパワーが、この人の文章にはあった。一人の表現者への興味が、そのままその人物の関わる分野への興味に通じたのである。

 

この人の文章がどれも夕刊コラムのような質と密度だったらどうしよう、それは人間技ではない、と私は恐れていたのだが、その後、力を抜いた文章もあるのを知りほっとした。ともあれ、もしも3月26日から4日分のコラムを読まなかったら、私は短歌に無縁なままだったし、このページに「一首鑑賞」を書くこともなかっただろう。また、もしも穂村弘の肩書が「俳人」だったら今ごろ俳句を作っていただろうし、「陶芸家」だったら今ごろ私はろくろを回していたはずだ。

あなたはどのように短歌と出会っただろうか。