ポルトガルの設計ミスのティーポット日曜なればかまわず使う

山下泉『海の額と夜の頬』(2012年)

 

ポルトガル製のティーポットを、<わたし>は持っている。使いはじめてすぐに不具合のあることがわかった。蓋がよく閉まらない、取っ手がもちにくい、注ぎ口からお湯がほとばしり出る、エトセトラエトセトラ。ちょっとした不良品なのだ。平日はてきぱきとお茶を淹れ、てきぱきと仕事を片づけたいので使わないが、今日は日曜である。いくらでもだらだらしていたい。少しくらい手間どってもかまわないから、今日はこのポットでお茶を淹れる。

 

という事情を一首は伝える。「設計ミス」と文句をつけつつ、日曜という口実でポットを使うのは、何かありそうだ。大切な人からのプレゼントなのか、旅の思い出がしみついているのか、それとも単にデザインが気に入っているのか。読み手の想像は広がる。けれどもこの歌の場合、意味内容に深入りするより、ことばの響きの方を楽しみたい。

 

初句「ポルトガル」が、まずよい。二つの「ル」の軽やかさ、「ポ」の楽しさ。もともと「ポ」は、「ぽっぽっぽ、ハトぽっぽ」と歌われるくらいであり、むやみ無責任に明るい。一首の頭に置かれたこの「ポ」は、三句「ティーポット」の「ポ」とひびきあう。

 

長音のつらなりも、味わいどころだろう。「設計」の「ケー」、「ティーポット」の「ティー」、「日曜」の「ヨー」、「かまわず」をふつうの速度でいうときの「カマーズ」。のばす音が四つある。黙読するときも音は無意識下でひびいているから、ゆったりした長音がくり返されると何だか気持ちがいい。長音を意識して、五句三十二音を声にしてみるとさらに気持ちがいい。

 

一首は、次の一句を呼びおこす。

昼顔の見えるひるすぎぽるとがる          加藤郁呼  『球体感覚』(1959年)

こちらも、意味というよりことばの響きを楽しむための作だ。「昼顔」「ひるすぎ」の「ひる」。「見えるひるすぎぽるとがる」の四つの「る」。明るく楽しい。場面はポルトガルなのか、それとも日本からポルトガルを思っているのか、一体どういうことか、などと意味を追いかけてもつまらない。

 

硬質な抒情をたたえる山下作品は、新仮名遣いが似合う。この歌もそうだ。もしも旧仮名遣いにしたら、きりっとした感じが失われるだろう。

ポルトガルの設計ミスのティーポット日曜なればかまわず使う  (原作)

ポルトガルの設計ミスのティーポット日曜なればかまはず使ふ  (改作)

 

さて、このページで紹介した4月6日の渡辺松男にはじまり、井辻朱美、永井陽子、本日の山下泉とつづいた四人のうち、1951年生まれの永井をのぞく他の三人は、たまたまみな同じ1955年の生まれである。もちろん、この偶然に意味はない。

 

編集部より:山下泉歌集『海の額と夜の頬』はこちら↓

http://www.sunagoya.com/shop/products/detail.php?product_id=770