泣いた、右の乳首を噛みちぎったら――――――無限界乃至無意識界

森本平『森本平歌集』(2004年)

 

「コックローチ・ダンス」二十六首から。
「無限界乃至無意識」というフレーズが、「浅草紅団参上」「夜露死苦」「天上天下唯我独尊」など、いまや古典的となった落書の定番文句を思わせる。前世紀後半の日本を舞台にした映画に、落書の文句として出したら似合いそうな歌だ。いや、二十一世紀のいま現在、新宿駅かどこかのトイレの壁で見かけても違和感はないかもしれない。<わたし>が右の乳首を噛みちぎったら泣いたのは、何者か。人か獣か、男か女か、大人か子供か。個室の中の暇つぶしに適した落書だ。

 

「無限界乃至無意識界」は、ふつうに読めば「むげんかいないしむいしきかい」と14音、経文の読み方でいけば「むーげんかいないしーむーいーしきかい」と18音になる。せっかくなので経文式に読んでみよう。<泣いた、/右の乳首を/噛みちぎったら/――――――無限界乃至/無意識界>と3・7・7・10・8音で切って、一首三十五音。

一連は、趣向を凝らした二十六首だ。般若心経の全文を二十六のパーツに分け、一つずつ下の句に据える。上の句は、韻律上は3・7・7音で統一し、内容上は一連全体でひとつの物語にする。たとえば、上の歌を含む五首はこのような展開だ。

 

だるい、隣のトマトを犯してみたい――――――――無眼耳鼻舌身意
去年、メキシコ生まれの娼婦を買った―――――――無色聲香味觸法
泣いた、右の乳首を噛みちぎったら――――――無限界乃至無意識界
思う、這いずりまわる私は犬だ―――――――――無無明亦無無明盡
犬は、無駄にペニスをたたせて眠る――――――――――乃至無老死

 

一連の中で読むと、乳首を噛みちぎられて泣いたのは、メキシコ生まれの娼婦ということになる。歌から歌へ、経文の伴奏付で話がつながっていく。アイディアは面白い。だが、どれも落書の文面にしてはお上品といおうか、育ちがいい文学青年の作物という印象だ。「トマトを犯して」「娼婦」「這いずりまわる犬」などの様式的表現でなく、もっとストレートにいったらどうか。そう注文したくなる。しかしその一方、落書ではなくラップのリリックすなわち歌詞としてどうかと考えると、ラッパーがうたうことばとしては結構いけるかもしれない。目を通すときと、耳を通すときでは、ことばの印象が変わる。

 

一連が般若心経を素材にしていることは、作中にもあとがきにも書かれていないので、経文にうとい私は最初気がつかなかった。初読時から数年あとになって、もしやあれは般若心経かと思いつき、経文と照らし合わせてわかった。気づく人だけ気づいてくれればいいとする作者の行き方は、育ちがいい文学青年ならではだろう。

 

4月20日に紹介した高野公彦『青き湖心』と、本日の森本平「コックローチ・ダンス」。般若心経は作り手の歌ごころをさそうのである。