RX-7のドライバー

 真夏の午後の光が降り注ぐ東名高速道路を、二十代後半の私より十ほど上の人の運転するRX-7は、快調に走っていた。ロータリーエンジンの心地よいサウンドを助手席で聞きながら、運転者と言葉を交わし、煙草をふかすなどしていた。今日、ほとんど初対面のその高校教師の人は、いろいろ気を遣ってくれていた。

 ある集まりが、前日土曜日から愛知県の鳳来寺近くの宿であり、翌日曜日の昼食を以て解散となった。その時、一人で東京に帰る私を、車で帰る彼が誘ってくれた。それともう一人、女子学生も同乗することとなった。そして出発したが、彼女は、やはり鉄道で帰ると言って、浜松駅で降りていった。狭い空間にオジサン二人といるのがつらかったのだろう。
 女子学生を下ろし、RX-7は東名高速道路を東へ向かった。

 話が途切れた時だった。彼は前を向きながら言った。
 「上條さんは、柔らかに見えるがその奥は堅いものがあるね。」
 思わぬ話題となった。そう見えるならいいなと思った。
 「えっ、そうですかぁ。」
 「だけど、その堅い殻の中はフニャフニャでしょう。」
 驚いた。思わず横を見た。運転者は微笑みながら、前を見ているだけだった。私には怒りは湧かず、急所を突かれて声を立てずに唸っているしかなかった。いや、急所を突かれるというより、私が知らなかったわが心の構造を解剖して見せられたという感じであった。今まで被った苦い経験の原因はこれかと思った。ただ、その時それを検証するような余裕は無かった。東京までの200キロ余りの路程を何を話して過ごしたかは憶えていない。ただし、彼が最近凝っていると言っていた石集めの話は憶えている。RX-7の助手席の足許にいくつか石が転がっていた。私の心の深奥のぐにゃぐにゃなものと、この石ころが、何か奇妙な対称になって、思い出になってしまった。

 この私の心の構造についての彼の分析は、その後、先輩の貴重な一言として仕舞い込んで、そのままにしていた。

 今思えば、堅い殻の中というのは、「思想」があるべき場所ではなかろうか。そういうことを学ぶこともなく、考えても来なかった者の幼稚な思考をお見せするのは恥ずかしいが、この際書いてしまおうと思う。あえての図式化をお許し願いたい。
 事象があり、それを観察、分析する諸学問がある。それぞれの分析、考察の中にはいろいろな価値判断はあると思う。しかし、個人の生き方、社会や国家、そして世界の在り方を統御する価値判断の体系としてあるのが「思想」ということになるだろうか。

 当時の私は、いろいろ感じていたし、考えたり、学んだりすることはあった。学ぶとは言っても、関心のある問題について研究者の分析や考察を、新書程度だが、読んでいた。どの程度理解できていたかは怪しい。そして、何か新しい知見を得たにしても、それで、生活や生き方に変化は無かった。
 例えば、環境問題がある。NHKテレビの「現代の映像」がちょうど、中学、高校に重なる。その中で、水俣病、四日市ぜんそく、多くの河川湖沼の汚染、動植物への影響などを知った。ただ、それに関わって生きることは無かった。今、日々、自らの生活の中でゴミの分別はしっかりやろうと思っている程度である。

 余談だが、テレビっ子の私はNHKで育ったと言ってよい。中高時代の夜7時半から8時、月曜は「新日本紀行」、火曜は「特派員報告」、水曜は「生活の知恵」、金曜が「現代の映像」、木曜は思い出せない。日曜が大型時代劇(今「大河ドラマ」と呼ばれている)、そして曜日は動いたが、10時の「日本史探訪」は欠かせないものだった。海音寺潮五郎、松本清張、司馬遼太郎、永井道子、杉本苑子などの人たちの話、というか、それぞれの語り口に夢中になったものだ。

 それはさておき、学校を出て、企業に入り、俸給生活者となった。私の入った会社はまだ現金支給だった。給料日に幾許かの現金を手にしたとき、これは現代の巨大な経済システムの裾に湧き出ている水のようだと思った。そして、環境問題をはじめ、格差問題(当時は南北格差が言われていた。)、人権問題、そういった「けしからんもの」を抱え込んだ巨大な経済システムから湧き出しているこの水をすすってしまえば、もう正義の味方にはなれないな、と思った。

 そんな私は、例えば、かのクラシックカメラの伝道師、実は一流の写真家、そしてすぐれた文章家田中長徳の書くエッセイが好きだった。夜のプラハの街の歩きながら、この歩いている自分はこの世界の一現象にしか過ぎないなどと、呟いたりする文章である。これは、思想ではなく、認識というのだろうか。そこから、何か新しい生き方とか倫理は簡単には出てこないだろうが、自分を落ち着かせたり、周りのものが美しく見えたりすると思っている。

歴史が好きだが、思想史はぴんとこない。唯一、感動した思想史の論文は台湾の呉叡人という政治学者が書いた植民地期台湾時代の二人の人物の比較論である。日本の大学に学び台湾に戻って日本の植民地政策に反対した運動家と、日本人に接近し接触していった活動家である。後者は、日本の大正デモクラシーを台湾に齎そうとしていたのだ。たが、日本ではファシズムが大正デモクラシーをつぶしてしまい、彼の野望は潰えた。読後感は、せつなかった。この論文は、人間を描いていたから感激したのであった。

 RX-7のドライバーの正体を明かそう。当時は高校の先生だったが、後に國學院で講師、藤女子大、和光大で教授を務められた村井紀さんである。柳田、折口に批判の目を向け、戦後の折口の神道論などを取り上げた。『反折口信夫論』などの著書がある。
なお、鳳来寺山での集まりというのは、昭和58(1983)年の「人」短歌会の全国大会である。村井さんは、短歌の会がどんなものか参加してみたのであろう。そこで、何か生意気なことを言っているが、何も考えていない中年一歩手前の男がいたので、これをを懲らしめてやろう思ったのかもしれない。

 村井さんは2022年に亡くなられてしまった。その訃報を聞いたとき、「しまった」と思った。一度、会っておきたかった。私の心の殻の中には、思想のような立派なものは相変わらず無いままだ。ただ、私の奥には、旅で出会った忘れ難い風景があると伝えたかった。日本海の海辺の街を歩いて出会った暗い家屋の間に光っていた海と空、線香の煙が流れ沢山の風車が回っていた恐山、マラッカの中国人墓地で振りかえると立っていた「抗日烈士の碑」、そんなもの見て来たと伝えたかった。

 今回も、まとまらないまま筆を置く。

 一つ、神田の街情報をお知らせする。最中がおいしい「庄之助 神田須田町店」が6月30日をもって閉店になる。あの木造のお店は無くなる。なお、先日お店で「この最中がこの世からなくなるのですか」と尋ねたら、深川白河店が引き続き営業するのでよろしくとのことで、一安心した。