麦畑 ひばりが一羽 飛び立ちて… その鳥撃つな 村人よ!

美空ひばり(1989年)

 

スターと短歌の関係を考えてみたい。美空ひばりは、1937年5月29日に生まれ、1989年の明後日6月24日に52歳で死去した。

 

この6月、日本全国で映画「ザ・スター 美空ひばり」が公開されている。1981年にフジテレビの音楽番組「ザ・スター」五夜分のため、ひばりがわずか一日で収録した32曲中の29曲を、解説やエピソード抜きでひたすら映す構成だ。リンゴ追分、悲しい酒、柔……。いわゆる洋楽ロックを聴いて育った私は、美空ひばりには何の関心もなく、演歌や歌謡曲は嫌いなのだが、友人に誘われこの映画を見た。そして、美空ひばりの歌のすごさに打ちのめされた。ジャンルを越えて、上手い人は上手い。歌いだしたとたん、こころを摑まれる。その声その表情に、なされるままに運ばれてゆく。この人は日本のザ・ソウルシンガーだ。

 

美空ひばりとは何者だったのかと、帰宅してパソコンを開き、死の一か月前に彼女が入院中の病院から上に掲げたことばを発表したことを知った。「これがひばりからの、生涯最後のメッセージとなった」(ウィキペディア)という。〈麦畑 ひばりが一羽 飛び立ちて… その鳥撃つな 村人よ!〉。結句が5音ながら、これは短歌だ。5・7・5・7・5音の一首二十九音。このメッセージがどのような形で発表されたのかはわからないが、歌の表記は、齋藤愼爾著『ひばり伝』(2009年 講談社)および「村人よ、雲雀を撃つな――美空ひばりと短歌」(「短歌研究」2009年6月号)によれば、つぎのようになっている。

麦畑ひばりが一羽翔び立ちてその鳥撃つな村人よ   *「翔」に「と」のルビ

 

麦畑をひばりが一羽飛びたつ。そのひばりを撃つな、と歌は村人に呼びかける。一首のこころは、わたくし美空ひばりは病にめげず頑張るので、みなさまどうぞよろしく見守ってください、というものだろう。プロの芸人としての矜持。絶唱である。齋藤愼爾によれば、ひばりは折りにふれて短歌を作る人だったらしい。小林旭との結婚式でも、新郎新婦ともに歌を披露している。

 

国民的歌手といわれ昭和の顔といわれる人の、生涯最後の公のことばが短歌形式で語られたという事実に、虚をつかれる。いや、正確にいえば怖さを感じる。何が怖いか。気がついたらじつはそれは短歌だった、というのが怖い。最初から短歌だと思って読む短歌には、何の怖さもない。五七五七七に向かう心構えが、あらかじめこちらにある。恐ろしいのは、ふつうのことばだと思っていたものの中から、五七五七七がふいに立ちあがってくることだ。何でこんなところに、おまえが! と思わず後ずさりしてしまう。短歌がこんなに日本語に溶けこんでいて嬉しいとは、少なくとも私は思わない。何といえばいいだろう、逃れられないものが、気づかぬうちにそこにあった驚きとでもいおうか。この感じは、たとえば、聞き飽きた親の口癖を、ある日自分がつぶやいているのに気づいたときの驚きに似ている。五七五七七は怖い。

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