ゆるやかにピアノの中にさし入れる千年前の雨の手紙を

                鳴海宥『BARCAROLLE 舟唄』(1992 年)

 

ピアノの内側には、調律した記録を差し込んでおくポケットがある。作者はその部分に「手紙」を連想したのかもしれない。

「雨の手紙」は、好きに読んでよいと思う。なにしろ「千年前の雨」である。「雨」からの手紙でもよいし、雨のことが書かれている手紙でもよい。

私は「千年前」のある日に降りしきった雨粒を思わせる、ピアノの音を注ぎ込んだ「手紙」を想像した。ショパンの「24の前奏曲」に「雨だれ」と呼ばれる曲があるが、曲は何でもよい。その曲を美しく弾き終え、演奏された音の一つひとつを集めて封筒へ入れて、ひとつの音もこぼれぬよう「ゆるやかにピアノの中にさし入れる」――。

言葉のイメージだけで構築された世界を味わうのは、大きな喜びである。「こんな解釈でいいのかな…」という不安はあるけれど、詩歌は読む人それぞれが楽しめばよいのだから。作者がピアノを弾く人であることを思えば、「粒だちのよい演奏」「粒のそろった音」といった演奏表現にも親しいはずだ。ピアノの音から雨粒を連想したと解釈するのは、それほど外れてはいないと思う。

雨の手紙をさし入れたのは、たぶん漆黒のグランドピアノである。よく弾き込まれたベーゼンドルファーあたりだろうか。