さいかち 真


貧しさは人のこころを毀つとぞ壊れし子らの教室に吼ゆ

広坂早苗『未明の窓』(2015年)

 学校の現場の出来事というのは千差万別である。誰もが自分の経験したことをもとにして、学校の荒れなら荒れについてのイメージを作ろうとする。そのために、こういう歌は本当にわかってもらえるのかどうか、わからないのである。作者としては、おそるおそる一首だけ入れたのにちがいない。掲出歌の四句めの「壊れし子ら」は、言い過ぎではない。本当にそうとしか言いようがないような局面はあるのである。「吼ゆ」も実際にそうなのである。

二十年以上前のことだが、女の先生が卑語と罵言を浴びせられて、白衣でガードはしていたが、唾を吐きかけられるというような教育現場があった。ある教室の前を通りかかったら、それは男の先生だったが、生徒が窓枠のところにしゃがんで、「おい、今から飛び降るけど、いいのかよ。どうなんだ」と脅しているというような変な場面を見たこともある。ある日トイレのモク拾いもかねて巡回していたら、壁のスピーカーが外れてだらんと垂れ下っていた。それを見た時は、悪夢のなかにいるような気がしたものだ。そういうエピソードを断片的につないでみても、やっぱり本当にはわかってもらえなかった。

「壊れ」て「吼」える子らを抑えきれない局面というのは、以前は中学・高校の話だったのに、現在は小学校までそういう荒れが低年齢化している。作者は高校の教師だが、掲出歌をわがこととして読む小学校の先生もおられるであろう。だから、先生の数を減らすなんてとんでもない。余裕があるなら、その分を希望する学校に手を上げてもらって増員すればいいのである。作者の歌の話にもどる。

 

古今集空穂評釈体熱の伝わる「評」を好みて読みし

行政のオートマティックなことばから逃れてゆうべ『赤光』を読む

帰宅して戸を開けるとき水槽の中によろこぶ鮒、沙魚、泥鰌

暁闇の底よりひびく笑い声あれは神社の大楠ならん

 

楷書の歌とでも言おうか。平易で健康的で、淀みがない。空穂評釈に「体熱」を感じるなんて、いいではないか。最後にひいた歌の柄が大きくて明るいことは無類である。