おとうとはとほくてたふとい 其の背なにいつより触れずわれらねびゆき

梶原さい子『あふむけ』(2009年)

「おとうと」という言葉の甘くたどたどしいひびき。
存在としての「おとうと」はその発音のように頼りなく、けれど絶対的な魅力でもって惹きつけられる。
姉にとってその存在はかくべつのものなのだ。

「とほくてたふとい」という旧かなも、ずんずんとさびしく響いてくる。
子どものころは遊び相手になったり抱っこをしたりして世話をやいたけれど、いつよりか「おとうと」はひとりの男になっていった。生涯のつれあいもみつけ、結ばれたのかもしれない。もう自分の出番などない、それは当り前のことであり、喜ばしいことなのに、深いさびしさが胸のなかに湖のように光る。
いつまでも貴いひと、ちいさかった「おとうと」。

結句の「ねびゆく」は、成長して大人になるという意味がある。
『源氏物語』のなかで、光源氏が若紫をみつけたときに、「ねびゆかむさまゆかしき人かな」(成長していくさまが楽しみな人だな)と言う。
この光源氏の眼差しは、どこか、この「おとうと」にむける眼差しと重なっていくようで、すこしどきどきした。

もういちど、「おとうと」の「背な」に触れることがゆるされるだろうか。
われらねびゆきたる今。

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