この家に女(をみな)をらねば鏡という鏡くもれり秋ふかむ中

桑原正紀『天意』(2010年、短歌研究社)

 鏡というものも実に不思議なものである。物理的には、可視光線を反射する物体に過ぎないのだが、鏡によって人間は初めて自分自身の姿を客観的に認識する手段を得た。それは人間が便利な物を得たというよりも、自己認識という深い哲学性を人間にもたらしたと言えよう。そのために鏡は古来から霊的な性格を有する物質と考えらえてきた。例えば、卑弥呼の「銅鏡」、三種の神器の「八咫鏡」、隠れキリシタンの「魔境」などが思い浮かぶ。そして鏡は常に女性と結びついてきた。女性もまた鏡のような霊的な存在なのかも知れない。

 掲出歌の作者の妻は突然の脳動脈瘤破裂で倒れた。一時は医師から絶望的と言われたのが、その後奇跡的に持ち直したという。夫婦に子供はいない。妻が入院すれば、家の中には女性はいなくなる。男は鏡を見ないこともないが、あまり熱心には見ない。鏡が曇っていても、著しい支障がない限り、拭おうということもあまりしない。女性であれば必ず磨くであろう家の中の鏡がいつしか曇ってくる。そして妻の支えを失った男は常に無力である。

 ここでは、鏡が曇るという事象を通じて、大切な妻が今はこの家にいないという深い虚脱感が滲み出ている。たった一人の家族である妻が重い病気と闘っている。その妻を作者は文字通り献身的に介護をしている。妻の容態は快方に向かっているとはいえ、感染に元に戻ることはないらしい。鏡が曇るということは不安の喩とも取れようが、読者はそれが「秋ふかむ中」であるということに一抹の救いを感じる。介護する方もされる方も辛い毎日であろうが、その夫婦愛は清明に晴れ渡った晩秋の空のように美しく澄み切っているのだ。

   〈覚悟〉より解き放たれて見あぐれば突き抜けて紺青の空あり

    妻を看るこの生活をいましばし続けよといふ天意なるべし

    柚子ひとつ浮かべてあそぶ夜の湯にさみしき霊もきてあそべかし