うごく手は罰せられたりははの手を安全帯なる布が縛れり

紺野裕子『硝子のむかう』(平成24年、六花書林)

 「安全帯」とは通常は高い所で作業をする場合などに使用する命綱付きベルトを指す時が多いが、ここでは病院などで患者が無意識に手足を動かして、ベットから転落するとか、点滴の針を自分で抜いてしまうようなことを防止するために、患者の手足をベッドの柵などに緊縛する布又は紐を指している。

 福島に住んでいた作者の母は脳梗塞で倒れ、心身に重い後遺症が残った。恐らく、病院のベッドの上で無意識のうちに自分で点滴の針を抜いてしまったたりするのであろう。病院にとってはさぞかし厄介な患者だったに違いない。二十四時間見守るわけにもいかない。それでなくても人手が足りない。何かあったら病院側の責任が問われる。已むを得ず手足をタオルなどでベッドの柵に緊縛することになる。もちろん、家族に事情を説明し、同意を得てからのことではあろうが。

 娘である作者としては、その事情は十分に理解はしているものも、やはり辛くて仕方がない。「うごく手」には”自分で動かせる手なのに”という作者の気持ちが込められているのであろう。「罰せられたり」は実に強烈な言葉である。罰したのは病院というよりも、それに同意せざるを得なかった自分なのかも知れないという気持ちもあるのだろう。今は、天真爛漫になってしまった母なのに、その天使のようになってしまった母の手を罰しているのだと思えば、娘としては辛い。ましてや、その布が「安全帯」と呼ばれている。確かに母の「安全」のためには違いなのだが、その「安全」と引き換えに、母は人間としての尊厳を失ってしまった。「安全帯」とは何という皮肉な名称であろうか。その後、作者の母は亡くなった。享年82歳だっという。

 この一首の持つ意味の重さは単に作者一人だけのものではない。多くの団塊世代の共有する課題であり、高齢化社会となった日本全体で背負わなければならない問題なのだ。そのことをこの一首は訴えてやまないように思える。

   会ひにゆく日にち知らせしわが葉書ははのバッグにしまはれてあり

   五十二キロのははを抱ふる看護師の五本のゆびは尻にくひ込む

   畑なかの墓の相寄る南面にははの簡素の墓をたてたり