矜持なきわが性なれば昼間より咲くゆふがほの花を見てをり

小紋潤『蜜の大地』(2016年、ながらみ書房)

 「矜持」とは「誇り」とか「プライド」とかいう意味である。作者は”矜持がないのが自分の性(さが)である”と自ら言っている。最初からなかった訳ではないであろう。長崎のカトリックの家庭に生まれて、幼児洗礼を受けたという作者であれば、青年時代までは、人並みの夢や希望を抱いていたであろうし、自分自身を恃み、前向きに人生を送るという矜持も持っていたであろう。

 しかし、思い通りにいかないのが人生である。特に、作者の場合は、歌集の装幀家としてユニークな仕事を続けていたが(私事にはなるが、私の第一歌集・第二歌集の装幀はこの作者のお世話になった。今でも大好きな装幀である)、勤めていた出版社が廃業となり、どのような経緯かは知らないが、妻子と別れ、更に、自身の健康まで壊してしまい、故郷の長崎に帰ってしまった。そのような状況の中では、最初から自分には矜持がないのだと言わざるを得ないだろう。他人を恨んだり、状況のせいにしたりしないで、あくまで自身の中に理由を求めるところが、いかにもこの作者らしい。

 そう言いながら作者は昼のユウガオの花を見ている。ユウガオはその名の通り、夕方になってから咲く印象があるので、昼に咲くユウガオは、少し間が抜けた感じがする。ユウガオらしくないと言えば、そうかも知れないが、ひょっとしたらこのユウガオは、夕方に咲くという約束事を破ってしまって、楽になったのではないだろうかと思う。少なくとも、それを見ている作者のその時の心と通じるものがあったのだろう。そして、昼に咲こうが、夕方に咲こうが、ヒルガオの花はあくまで淡く清楚である。自分が自分がと人を押しのけて前へ出ないところは作者の性格と通じるものがある。作者自身が「矜持なきわが性」と卑下しても、それは慎ましやかな謙遜なのである。作者は現在、長崎で苦しい闘病生活を送っていると聞くが、身近な歌の仲間たちの温かい支援で今回の歌集が上梓された。一日も早く健康を回復され、再びお元気に作品を発表してくれることを祈って止まない。

     夕暮れはあなたの肩に光(かげ)ありてまだ残されてゐるわが生か

     荒寥とあるのみならず身を捧げ給ひしイエスの晩年がある

     元気であることがうれしも蟬の鳴くことの少なきこの夏の日々