安田純生『でで虫の歌』(青磁社:2002年)
(☜4月24日(月)「人から見た自分 (13)」より続く)
◆ 人から見た自分 (14)
日常のことを忘れてパチンコに興じる。ジャンジャンバリバリという騒音のなかで、隣の台に座る男が叫び気味に話しかけてくる。おそらくは「ニイチャン、調子どうよ?」といった他愛のない会話なのだろう。普段は呼ばれることのない「ニイチヤン」という言い方に喜びを感じる――
男の方が多少は年上のように感じられるが、あまり年齢の上下といった細かいことにはこだわらない性格のように思える。さて、一首前の歌がこちらである。
垢付ける襟見すまじとていねいにコート畳みてをみなに預く
クリーニングにコートを出すときか、あるいは歌の並びからパチンコ店でコートを預けたのか。自分より若い女性を前に、お客であるのになんだか気まずく緊張してしまうさまが伝わってくる。翻って「隣の台の男」のすがしい馴れ馴れしさが際立つ歌の並びと言える。
歌集のあとがきには「三十九歳より四十六歳までの間に詠作したもの」と書かれている。まだまだ若い年齢であるが、やはり世の中で「ニイチヤン」と呼ばれることはないだろう。どうやら物を教える仕事をしているようで、普段の生活では自分より若いものに囲まれていることも、「ニイチヤン」という呼び方にぴんと反応する要因であると思われる。
歌集において、「若き」と他者を呼ぶ表現が目に留まった。
車中のドア引けども引けども閉まらぬを「それは自動」と若きに言はる 「梅多き村」街のさまビデオに撮れる若きらのあれば写らぬやうに通れり 「ともかくも無事」
もしこの「若き」が「隣の台の男」であったならば、「ニイチャン、そのドア自動やで」と言いながら親しげに笑いながら肩を叩いてきたり、「ニイチャン、ちょっとワシらをビデオ撮ってんか」と声をかけてきたのかもしれない。
たまたまパチンコ店で隣に並んだだけであるが、人類皆兄弟と言わんばかりの親しさ。そんな打ち解けた関係というものも、時代の中では得難いものなのかもしれない。
(☞次回、4月28日(金)「人から見た自分 (15)」へと続く)