光森裕樹


民族が違ふと言はれ黙したり沖縄(うちなー)びとにまじりて座せば

渡英子『レキオ 琉球』(ながらみ書房:2005年)


(☜4月26日(水)「人から見た自分 (14)」より続く)

 

◆ 人から見た自分 (15)

 

掲出歌には次の二首が続く。
 

沖縄の論理を聴けば火照りたる耳につめたきグラスをあてる
憂鬱のまつはりしままスプーンにパッションフルーツの種子掬ひたり

 

おそらくはちょっとした宴席や飲み会の場であったのだろう。琉球民族の流れを組む/組まないを根拠に、私と周囲の間に太い一線が引かれる。「黙す」のはそれに納得したからではないはずだ。相手の論理を聞けば、耳に痛いことも聞き逃せないこともある。その耳をグラスで冷やしたり、悶々としながら南国の酸っぱいフルーツを匙に掬う。
 

掲出歌では、「民族が違う」ゆえに、「溶け込んで座す」わけではなく「まじりて座す」となっている点に注目したい。
 

なんともいたたまれない状況に、もし私がこの場にいたらどうしただろうか、どう感じただろうかと想像してしまう。今や、人種も民族も言語も国籍も複雑に絡み合っている時代で、容易に線を引くことはできない。しかし、何らかの状況の根拠として、自ら選択することの難しい大きな概念を用いたくなる気持ちも、分かるのである。
 

「チャンプルー文化」「いちゃりばちょーでー(一度会えば皆兄弟)」という言葉の存在は、沖縄の懐の深さを表すと同時に、それを必要とする状況があることを示す。
 

さて、本日4月28日は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発行され、日本が国際社会に復帰した日とされる。近年、「主権回復の日」と名付けられたようだが、沖縄では「屈辱の日」として記憶される。このことを初めて知ったのは沖縄に来てからだ。
 

沖縄に来てから知ったたくさんのことがある。同時に、沖縄に来る前にいた場所、生まれ育った土地について何も知らなかったことに気がつく。知らなかったことを恥ずかしく思う気持ちも大切だが、知ることができたことを嬉しく思う気持ちも大切だと信じる。
 
 

(☞次回、5月1日(月)「人から見た自分 (16)」へと続く)