光森裕樹


「蠅はみんな同じ夢を見る」といふ静けき真昼 ひとを待ちをり

魚村晋太郎『銀耳』(砂子屋書房:2004年)


(☜7月10(月)「かすかに怖い (1)」より続く)

 

◆ かすかに怖い (2)

 

どこかで耳にしたのであろう「蠅はみんな同じ夢を見る」という言葉。本当のことなのかは分からないが、その言葉が頭の中をめぐる静かな昼に、ひとを待つ――
 

昆虫学的な知見はまったくないが、休眠状態にある虫は眠っているのだろうか。人にとっても意識の外にある夢が、一体何のために見るのかよくわからない。高度に発達した脳が必要とするものなのであろう。とすると、もし虫が夢を見るとするのであれば、それぞれの脳が過去の経験に基づいた異なる夢を見せると想像される。
 

しかし、そうではなく「みんな同じ夢を見る」という。この言葉を聞いた瞬間、頭の中をコピー&ペーストで並列化された蠅が無限に増殖していく。個々の体験や感覚などとは一切関係なく、蠅の脳の中のプログラムが一行ずつ手続きされて処理され、同じ夢が再生される。それこそ、悪夢のように。
 

蠅の夢のことを考えながらひとを待つ、とはどのようなことだろう。例え親しい人の待ち合わせであったとしても、どこか不穏な雰囲気が漂う。「待つ」というじっとその場を動かない行為は、どこか睡眠状態に似ている。蠅が並列化された存在であるとするならば、多少の複雑さが備わっているだけで、この人間という存在もまた個々の思考や感覚など大した違いではない並列化された存在なのかもしれない。
 

歌集中には次の一首もあった。
 

犬Aの記憶(メモリー)、Bの記憶(メモリー)わたくしがすれ違ふ花冷え

 

犬それぞれは異なる記憶を持つとしつつ、「A」「B」というナンバリングや「記憶(メモリー)」のルビから、(パソコンで言うならば)ハード上のスペックには違いがないような存在として書かれている。
 

犬という存在を、蠅と人間との間に位置すると考えるのであれば、やはり人間も彼らと大きな違いを持たないのかもしれない。
 

掲出歌を読んで、背筋が冷えるような怖さを感じる人はどれくらいいるか分からないが、あなたと私が並列化された存在ではないと、誰が言い切れるだろうか。
 
 

(☞次回、7月14(金)「かすかに怖い (3)」へと続く)