急行を待つ行列のうしろでは「オランウータン食べられますか」

大滝和子『人類のバイオリン』(砂子屋書房:2000年)


(☜7月31日(月)「かすかに怖い (10)」より続く)

 

かすかに怖い (11)

 

急行列車を待つ列に並んでいると、周囲の会話が意図せず耳に入ってくる。後ろの方から聞こえる声に耳を傾けると、オランウータンは食べられるか、と会話する声が聞こえた――
 

えっ?と思って、今「オランウータン食べられますか」っていいましたか、と聞き返す訳にもいかない。人の話を聞いていたのもバツが悪ければ、もしなにか別の言葉であったとすればこちらが変な人と思われる。
 

その前に、後ろを振り向くことさえ怖い。会話の持ち主はどんな姿なのだろうか。こちらと目が合って、にこりと会釈し「ねえ、あなた。オランウータン食べ――」と聞かれるようなことになれば、気を失ってしまいそうだ。
 

例えば「ダチョウ」や「ワニ」であれば、地域や文化によってはそれを食すことが日常なのかもしれない。まともな質問だ。しかし「オランウータン」となると、まともな質問であってはならないという、強いブレーキが心のなかに発生する。これはやはり、オランウータンが人と近しい存在であるからであろう。
 

やがで急行がやってくる。人々が一斉に乗り込む。私は、オランウータンが食べられるのかに興味をもつ客と一緒に線路上をがたごとと運ばれていく。
 
 

 
 

(☞次回、8月4日(金)「かすかに怖い (12)」へと続く)