吉川宏志『青蟬』(砂子屋書房:1995年)
(☜8月4日(金)「かすかに怖い (12)」より続く)
かすかに怖い (13)
何の祭りだろうか、賑やかに立ち並ぶ露天を眺めて歩く。わなげにお面、やきそばにりんごあめ…といろいろなお店が並んでいるが、わたあめを売るお店を過ぎると、しばらくしてまたわたあめ屋があることに気付く。
さっきとは異なるお店だとはわかっているが、わたあめを売る人の顔をみると皆同じような顔をしている――
その瞬間、合わせ鏡の中に迷い込んでしまったかのように祭りという空間に取り込まれる。さらに進んでも、来た道を辿ってもやっぱり同じようなわたあめ屋があり、ここから出ることができない。楽しい祭りのお囃子が、むしろ不気味なもののように感じられて背筋が冷える。
ほらあれは火祭りの炎ふるさとに残った秋をみな焼くための 永井陽子『葦牙』かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰をさがしにくる村祭 寺山修司『田園に死す』
永井陽子の一首は、火祭りが全てを包みこんでしまうようであり、寺山修司の一首では大人になっても村の祭りから逃れられずに戻ってきてしまっている。
祭りというものは賑やかなハレの場であるにもかかわらず、いや、そうであるためか、どこか閉ざされた異世界のような感じがある。
(☞次回、8月9日(水)「かすかに怖い (14)」へと続く)