桃の木はいのりの如く葉を垂れて輝く庭にみゆる折ふし

佐藤佐太郎『帰潮』(1952年・第二書房)

 

『帰潮』は、佐藤佐太郎の戦後を代表する歌集で、人口に膾炙した歌が多い。この歌はその一つ。「桃の木は夏日にみな葉を垂れている。暑さに萎えたようでもあるが、それを私は敬虔な形とみたのであった」(『短歌を作るこころ』)と、自註している。「敬虔な形」は、作者の庶幾する心境であったろう。まことにモノは、見方によって多様な表情をみせるものである。

 

この歌は1950年(昭和25)の作。作者は終戦の年の5月、表参道の空襲で家財を失った。それより5年の後、まだアメリカの占領下にあって生々しく焼跡の残る東京である。「いのりの如く」は、そうした時代に市民の誰にも共通する心境であったかと思われる。

 

苦しみて生きつつをれば枇杷びははな終りて冬の後半となる

連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音

あぢさゐのあゐのつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼

 

「純粋短歌」を提唱した作者である。写実の手法によりながらも、歌の内容は抽象性が高く、一首をとりだしてみると、何に苦しんだのか、貨車はどこに停まっているのか、紫陽花はどこに咲いているのか、個々の具体はわからない。その分、時代をこえて共感をえやすいともいえる。独立した一首として味わったのち、敗戦後の東京の街を背景に思い描きながら鑑賞すると、さらに重い響きが感じられる。