光森裕樹


獏たちが来たときに差し出す夜を祈りと思い出に分けておく

永山源「テラリウムにて」(『外大短歌』第7号:2016年)


(☜9月8日(金)「学生短歌会の歌 (10)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (11)

 

夢を食べるという獏。彼らが来たときに供する夜を「祈り」と「思い出」に分けて待つ。「祈り」や「思い出」が食べられたらどうなるのかは分からない。しかし、静かな夜の到来を、しずかなこころで待つ様子が浮かぶ歌だ。
 

テラリウムをテーマとした連作には、さまざまな生き物が登場する。テラリウムと言えば、卓上にのるような小さな動植物飼育環境を指すのであろうが、作品にはその中に入り込んでしまったような感じがあり、大きな動物も出てくることが面白い。
 

八月は背中が痛い 羽ばたいていたころの動きを真似てみる
涼風に尾をなびかせて黒馬は立つ いま雨が草原に来る

 

一首目。背中の痛みは、ヒトとなる以前の遠い先祖には翼があり、その名残りだとする。羽ばたく仕草を真似ても飛ぶことはできないが、想像の中では翼が大きく広がる。二首目では、凛とした佇まいの黒馬と、雨の予感の組み合わせが美しい。涼風にのる草と雨の匂いが歌から漂う。
 

故郷と故郷の間にブラキストン線を引いてわたしはあなたの亜種だ

 

例えば、二人の故郷は本州と北海道ということだろうか。その境の津軽海峡にブラキストン線(静物の分布境界線)を描き、二人が同じ人間でありつつ、少しばかり違っていることを想像する。
 

描かれているのは、わたしとあなたとは一緒ではないという哀しみであり、また、そんなふたりが今ここに一緒にいることの尊さであるように感じる。
 
 

(☞次回、9月13日(水)「学生短歌会の歌 (12)」へと続く)