光森裕樹


なめらかなわたしの腕を撫でる手がわたし以外にあるべき、九月

小原みさき「殴って撫でた」(「東北短歌」第3号:2016年)


(☜9月27日(水)「学生短歌会の歌 (18)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (19)

 

一首の意味は「腕を撫でる手」の持ち主を誰と解釈するかで、二つに別れるだろうか。
 

まずは、「腕を撫でる手」を想いを寄せる誰かとした場合には、「わたしの腕を撫でるあなたの手は、本当はわたしにではなく、あなたの恋人にあるべきだ」という意味となる。一緒に居てはいけないふたりの関係性にどきりとさせられる。この場合、「なめらかな」は相手の手の感触だと取るのが意味上は妥当だが、語の並びとしては少し距離があるかもしれない。
 

もうひとつは、「腕を撫でる手」を自分自身とした場合である。意味としては「わたしの腕を自分で撫でてみるとそのなめらかな感触が手に伝わってくる。本当は、わたしの手ではなく、想いを寄せるあなたの手であるべきだ」となる。相手を求める気持ちに、肌のなめらかな感覚が加わって艶めかしい。そこに「あるべき」という言い切りの表現が続く。
 

わたし自身は後者の意味で解釈したが、どちらの解釈であったとしても「あるべき」という言葉のあとに置かれた読点には注目しておきたい。
 

「〜あるべき九月」としてもとくに問題がないようにも思えるが、この読点によって結句のなかにわずかな間がもたらされ、それが「あるべき」という言い切りを強く響かせているのではないだろうか。
 
 

(☞次回、10月2日(月)「学生短歌会の歌 (20)」へと続く)