林檎ほどの火にてポットを温めつきみの聴けざるきみの寝言よ

瑞田卓翔「光の声、水仙の音域」(「東北短歌」第3号:2016年)


(☜9月29日(金)「学生短歌会の歌 (19)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (20)

 

恋人が寝ている間に、そっと起きてお湯を沸かす。決して自らは聞くことのない恋人の寝言が聞こえてくる――
 

ゆったりとした時間の流れと、それを充たす幸福感を感じさせる一首だ。
 

コンロの火を「林檎ほどの火」と表現したところが面白い。ぐるりと円をなすガスの火に意識が向くということは、それだけ室内が薄暗いということも意味する。「林檎」ほどの火の上にのった、おそらくはこちらも丸みを帯びた「ポット」。両者の音の組み合わせもかわいらしい。林檎の上にポットが乗るという映像は、どこか不安定でありつつ、この幸福のように確かなバランスが保たれている。
 

しずかな空間に、恋人の寝言が小さく響く。ひとりなら誰も受け止めることのない寝言がふたりでいるからこそ、受けとめられる。なんでもないことのようでいて、やはりおおきな幸せを感じさせるできごとだ。
 

声帯の()まりて(なれ)は水仙の音域ほどに言葉湧かせり

 

同じ連作から、相手の声に注目した歌をもう一首。
 

相手の言葉の意味するところではなく、その音域に焦点が搾られている。外からは見えない声帯がきゅっと緊まる様子を想像することは、相手のからだを解剖するようでいて、すこしおそろしくもある。緊まった声帯は水仙の茎の細さに通じ、相手の存在は水仙のありかたに重なる。
 
 

(☞次回、10月4日(水)「学生短歌会の歌 (21)」へと続く)