渡延悠里「(東部第19782地区より、レポート通算505号)」(「本郷短歌」第五号:2016年)
(☜10月4日(水)「学生短歌会の歌 (21)」より続く)
学生短歌会の歌 (22)
真夜中の電話でいろいろなことを君に話したけれど、「死にたい」という一言以外はどれもがでたらめだった――
真夜中に電話をかけることができるような仲でいても、「死にたい」という一言を吐露するためには、やまほどの嘘に混ぜ込まなければならない。
「死にたい」という口調がタメ口のようでありながら、相手には決して言うことのない「全部嘘です」という言葉はですます調となっている。そんな言葉を吐く自分を受けとめてくれるかどうか分からないのか、あるいは、君の前では強がっていたいのか。切なさが余韻を引く一首である。
「電話口」という表現は、携帯電話よりも固定電話にふさわしいというのは私だけの感覚かもしれない。いずれにせよ、メールやメッセージツールでのやりとりが行き交う現代において、「真夜中の電話口」という表現が感じさせるややレトロな空間(?)が懐かしくてさびしい。
UtopiaをUtopiaと呼ぶやさしさよ鉄塔の影の尾を踏む夕べ
同じ連作から引いてみた。
ユートピアを語源に遡れば「どこにもない場所」であり、訳語によっては「何もない場所」ともなるようだ。そのことに気付かず、私達の多くは「理想郷」と呼んでいる。
鉄塔の先に立つことはないが、その虚像としての影になら、私たちは容易く立つことができる。「不在郷」と「理想郷」のどちらが、鉄塔でありその影であるのか。
ユートピアの何が嘘で、何が真実かを知りつつ<私>はそのことを声高には叫びはしない。
(☞次回、10月9日(月)「学生短歌会の歌 (23)」へと続く)