生沼 義朗


青柳守音/降りたった蟹よりあかいヨコハマはかすかに焚火のけむりが匂う

青柳守音『風ノカミ』(ながらみ書房・2003年)


 

順番が前後して申し訳ないが、11月16日に触れた吉田優子を偲んだ歌を取り上げる。

 

掲出歌は青柳守音(あおやぎ・もりお)の第2歌集『風ノカミ』巻末近くに所収のもの。吉田優子の項目で挙げた、

 

 

蟹の這う横浜銀行。かべにぬる蘇州夜曲という塗り薬

 

 

を踏まえている。またこの歌には「吉田優子を偲んで『ヨコハマ・横浜』の会」の詞書が付されている。11月16日に述べたことの繰り返しになるが、青柳守音は吉田の第1歌集であり遺歌集の『ヨコハマ・横浜』を編集した人物である。刊行後に三回忌兼歌集出版記念会が横浜市内で行われ、それに駆けつけた。

 

 

「蟹よりあかい」は吉田優子の作品および本人のキャラクターのイメージを言語化したものであり、青柳自身の故人を偲ぶ気持ちの心象風景でもある。その「蟹よりあかい」が「降りたった」と「ヨコハマ」の間に挟まれることで、「降りたった」と「蟹よりあかい」が両方とも「ヨコハマ」に掛かってくる。それにより、現実の風景と心象風景が一体化して読者に差し出される。同時に作者である青柳の複雑な心情もそのまま読者に差し出される。青柳は現実のことを描きつつ現実臭がない、しかしリアリティは充分保たれしかも詩性が高い作風である。上句を受ける下句「かすかに焚火のけむりが匂う」は、青柳の他の歌から考えれば心象を反映した感覚と読むのが妥当だろうが、実景と読んでもそうではないと解釈しても読みが成立する懐の深さを持っている。

 

 

歌人とは闇に棲むもの雷鳴に背をむけてただ立ち尽くす意志
達筆のハガキがいつもとどくのは明るい午後ときめられていた

 

 

掲出歌の少し前に収められている、「髙瀬一誌追悼の二首」の詞書のある2首を引いた。1首目の「雷鳴に背をむけてただ立ち尽くす意志」は、髙瀬一誌の表現者としての姿と矜恃を端的に表現しており、同時にリスペクトゆえの讃辞としての役割も果たす。「歌人とは闇に棲むもの」も髙瀬一誌の表現者の姿を想起させるが、髙瀬自身の言葉にも思えてくる。

 

2首目は髙瀬からはがきをもらった人ならばわかる感覚だろう。少なくとも髙瀬が存命中に「短歌人」に在籍していた人は、ブルーブラックのインクで書かれた独特の書体によるはがきが必ず一度は届いているはずだ。この歌におけるはがきの表記は「葉書」ではなく断然「ハガキ」で、これは髙瀬の作品からもたらされるイメージによるところが大きい。「明るい午後」は現実の配達時間がそうだからなどではない。それなら結句が「きめられていた」になるはずがないからだ。これも髙瀬が愛用したブルーブラックのインクのイメージや、たっぷりとした印象の書体や行間などから来る印象が援用されていると同時に、受け取った側の精神が思わず明るむような効用を「達筆のハガキ」が持っていることを示している。髙瀬の特徴のひとつであった「ハガキ」を詠んだ、そして髙瀬一誌を偲ぶ歌として屈指の名歌である。