永井 祐


なつかしきのごときのよりそひ此のさきのことなつかしくわが思ひゐる

森岡貞香『九夜八日』

もう一首『九夜八日』から。
森岡貞香には三冊の遺歌集があるという話をしましたが、それらの編集は息子の森岡璋さんが行っているそうです。
生きているときは歌集を作るたびに自分でけっこう改作や並べ替えをしていて、さらに落とす歌もけっこうあり、雑誌などに発表した歌をかっちり再構築してたらしい。
『九夜八日』から先の歌集は息子の編集になっていて、そういうことを一切せず、ただ発表月日順に歌を並べているだけだそうです。
何かそのことによって、ちょっと変な、なんだかわからない感じの歌がたくさん残り、むしろ面白いということも起こっている気がします。

今日の歌ですが、これもなかなかすごいですよね。
まず「なつかしきのごとき」とは何か。
「なつかしいような何か」という感じかな。
「なつかしさのようなものを感じて」っていうのとちょっと違うんですよね。
花山多佳子さんの鑑賞だと「なつかしいようなさまざまがよりそって、という感じだろうか」と書いてあります。(『森岡貞香の秀歌』)
「なつかしい」は純粋にフィーリングじゃなくて、「なつかしきサムシング」としてもう少し感触があるようなものなんでしょう。でもそれに「ごとき」がついている。
「なつかしいサムシングのような何か」。
ともかくそれが寄り添って。この先のことがなつかしいように思われる。
未来のことがなつかしく思われるという。なんとなくわかる、ぐらいしか言えない歌ですが惹かれるものがあります。きわめてもごもご言っていて、その感じがいいんですよね。
韻律がけして流麗ではない。初句が六音で少し不安定、二句が八音、「此のさきの/こと」が句跨がりになっていたりとか、韻律が少しずつもごもごしている。そのへんに感触があるように思います。この歌とか、韻律がすーっと流れるようになってしまうとすっかり透明になってしまう気がします。

ほかにもいろいろあります。次の歌も好き。

 

階段の冷たき手摺つたはりて暗き夜道に出でむとしをり

 

下りの階段でしょうか。高齢だからということもあるのかしっかり手摺をつたわって下りていく。手摺のラインが夜道のラインにそのままつながっているように感じる。「出でむとしをり」だからまだ階段を下りている途中。つたわっていくと、そのまま夜道が続いている。手摺を使わなかったら、エレベーターだったら、下りる過程と夜道がこんな風なつながり方はしない。たぶん地味な歌だと思うんですけど、何か生物の環世界的というか、この一つの個体が意味づけている世界という感じがします。