松山駅降りて一丁北へ歩き煙草屋より三軒目が僕の家です

杉原良市

 

今日の歌は、「アララギ」昭和27年10月号、土屋文明の選歌欄に載ったものです。
が、すみませんが孫引きで、『文明選歌の口語歌』(佐藤嗣二)という本から知ったものです。
このページでも何度かやった土屋文明は、結社アララギで選歌を行っていて、
戦後の土屋文明欄の存在感には独特のものがあったそうです。
その特徴の一つに口語の使用の奨励ということがあって、全体から見れば「極めて微々たるもの」だそうなんですけれど、戦前にはなかった現象として、アララギに口語歌があらわれるようになった。
それはどんなものなのかと興味があって、読んでみました。

 

今日の歌、いきいき感あるなと思いました。
愛媛県の松山駅から、すいすいと案内されて、結句がちょっとしたメタ展開というか、ですます調で「僕の家」の場所を紹介されて終わる。
6・7・6・12・7のラフな韻律感も歌のノリにあっているし、「僕の家です」はしっかりオチている。それも口語特有のそれになっていて、なるほどーと思いました。
なにより、歌の全体がまとっているいきいき感、生命感みたいなものがよかったです。

引用元の本には「『贈答歌』の一種である。」と書いてあります。
こういうのは贈答歌というのか、ちょっとわかりませんが、ただ謎に上機嫌で自分の家への道順を教えるのが楽しいっていう感覚はよく伝わってくる気がします。それがわくわくするような誰かだったのかなというようなことも考えることができる。
あと、「一丁」は109メートルだそうなので、ずいぶん駅近だし、松山駅はたぶん主要駅なので、そのへんを言ってみるというのもあるのかな。

この歌、載ったあとに会員から「どんな所がよく味わうべき所でしょうか。どうしても分かりませんので教えていただきとうございます。」という投書があったそうです。
土屋文明はこれに対して「どんな所を味うかなどと鹿爪らしく考えなくもいい歌だ。唯作者の、小さいながらも一つの感動をとらえて居るという所を見られては如何。」と答えています。

選歌されている口語歌を見ていると、たしかにだいぶ攻めてるなと思います。
アララギ内部からの批判は数多かったみたいで、まあ、今日の歌をみても、こういうのじゃないと思って入ったんですけどという人はいただろうなと推測はできます。

文明の口語の奨励には、戦後の民主的な雰囲気を背景にした、短歌の民主化というようなニュアンスがあるように思います。
投稿されてくる歌の多くの歌の、それらしい文語遣いのそれらしい短歌の何かちぐはぐな感じ、はっきり言うと下手だったということがあり、それだったら、いろんな環境のいろんな人がいるわけだから、それぞれの身に合った言葉で、ほんとに言いたいことを言ってったほうがいいよ、みたいなところのようです。
まだ調べ中ですが、選歌後記などを読んでいての印象として。

 

英語多く混へて語るあなたの平和論それは雑誌「世界」で私も読みました 堀田綾子

世の中は目茶々々だと言ひ妾を囲ひ米の闇屋をしてゐるのが私の叔父です 横山吉男

 

この堀田綾子さんは、後年の小説家三浦綾子さんだそうです。

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