苅谷 君代 『白杖と花びら』 ながらみ書房 2020年
手にしている白杖。その先に桜の花びらが貼りついているのに、ふと気づいた。季節は、春。白い杖にも、春の華やぎが添えられて、そのまま〈わたし〉は歩く。
白杖を手にはしてはいるが、まったく見えないというのではなさそうだ。杖の先に貼りついた桜の花びらに気づくことができるのだから。
一首は、4句で切れる。白杖を手にしての外出に添えられた桜の花びら。ささやかな喜びがそこにある。そして、結句「そのまま歩く」へ。桜の花びらは、作者にとっては励ましだったか。「そのまま歩く」に力がこもる。杖を突く歩調も確かなものになったことだろう。白杖がようやく馴染んできた頃の歌である。
握手するやうに白杖持つ右手「よろしく」なんてつぶやいてみる
「人はそんなにあなたのことを見てゐない」それでもためらふ白杖のこと
これらの歌は、白杖を持ちはじめた頃の歌だ。
視力の衰えが白杖を持たねばならないところまできて、ついに白杖を持つことになった時のためらい。「人はそんなにあなたのことを見てゐない」と言われても、ためらう気持ちは拭えない。そもそも白杖は、持つ人の足元を支えるだけでなく、周囲の人に気づいてもらって注意をうながす役割もあるはずだ。人から言われた言葉をそのまま活かした歌は、その言葉を聞いたときの作者の痛みを直に伝えてくる。
花降るや やがて視力を失はんわれと和上の微笑みかはす
十六歳、歌をはじめたわたくしのあこがれは白秋そして先生
ひとつだけ叶ふ願ひがあるならば貪るやうに本を読みたし
やがて視力を失ってしまうであろうとの思いは、鑑真和上や晩年視力を失っていった北原白秋に向かっている。白秋は、十六歳で短歌をはじめた作者のあこがれの人でもあった。二首目で、「白秋そして先生」と出てくる「先生」とは鈴木幸輔のこと。十代で作りはじめた作者の口語短歌は、当時ずいぶん話題になったという。少女の頃から文学への憧れを胸に歩んできた作者の歳月を思う。
三首目の、「貪るやうに本を読みたし」という願いの切実さ。それは、視力を失う不安や心細さなどをはるかに上回るものであるようだ。