伏せてあるコップをひっくり返したら内側の暗さが浮き上がる

相田奈緒「天気雨」

 

(「短歌人」2021年8月号「20代・30代会員競詠」から。)

好きな感じの歌でした。
コップは、ガラスの透明のものではないと考えるほうがいいでしょうか。
伏せてあるコップを、ひっくり返して普通に立てる。自分の前にあるから、斜め上からそれを見るような形になるのかと思います。
底のほうから影になって暗くなっている。
下句はそれのことを言っているのかと思いました。

「内側の暗さが浮き上がる」がとても言い得ていて、
たしかに浮き上がっているように見える感じがする。
影がさしている、ではなく、暗いのが浮き上がっている。
境界もあいまいで、ふわっと「暗さが浮き上がる」。

いい感じである。
以上終了したくなりますが、もう少し考えてみると、
この歌は一心にコップの話だけしてるのがいいように思います。そこに気持ちの影は見えない。でも、コップのことを一心に言うことで、なんとなく心が落ち着いてくるような気がする。
「伏せてある」からはじまるのも面白く、どちらかと言えば伏せてあるほうがひっくり返っているわけですけれど、「伏せてあるコップ」から事がはじまるようになっている。

話を広げすぎかもしれませんが、どことなくセラピーっぽい感じもしました。
心が落ち着かない人が、これをやってみるというような。
真っ白なコップを用意して机に伏せる。「ひっくり返してみましょう」。
内側の暗さが浮き上がりました。よく見てみましょう。
これをやることで落ち着いてきます。
みたいな。
オノ・ヨーコの「メンド・ピース」、陶器を壊して、参加者が破片をくっつけてみるというアートがありますが、そんな雰囲気もある。

日常的なものを、日常的・社会的な文脈をはずしてみてみる。
そのミニマムな運動・行為の中に自由を回復する。
あえて言ってみると、そのへんがコンセプチュアルアートとかセラピーの一種みたいに見えるのかもしれない。

最後に韻律は口語っぽい韻律だと思います。実は「ひっくり/返したら」「内側の暗/さが浮き上がる」の二つも句跨がりがありますが、屈折した感じではなく、ゆっくり言っていくような韻律になっていると思います。それがこの歌に合っている。

 

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