本多稜『蒼の重力』(2003)
・モンブランの頂に立ち億年をゆるりと泳ぐ山々と逢ふ
と壮大に書き起こされた一冊。
巻頭の連作は、4000メートル級の山をゆく男の、いわば登山詠である。
登山やスポーツ(あるいは絵画や旅行)など、それだけで一個の詩になっているようなものは、短歌に写し替えてもうまくいかないことが多い。
しかし、この作者はその一瞬一瞬の緊張を短歌として切り取り、さらに凝縮して読者に提示している。そこに短歌にする意義がある。
途中、
・二呼吸に一歩重たき足を進め置き去りにされさうな肉体
・オーヴァーハングの下にて待てばカラビナに伝はりてくる来いといふ声
息をのむ描写を経由して掲出歌に至る。
(オーヴァーハングは、「岸壁で傾斜が垂直以上の部分。」カラビナは「岩登り用具。ハーケンとザイルとを連絡するための金属製の輪。」(広辞苑)とある。)
天穹、つまり大空に自分の体が包まれ、一体になるような場所にいる感覚は簡単に味わえるものではない。
富士山より高い(俗な言い方だが)山々の尾根は、おそらく無音なのだ。
山々がだれのためでもなく、ひたすら沈黙している。そして空を支えているという見立ては、かぎりなく広い。
宙という「過去・現在・未来に及ぶ無限の時間」(漢語林)すら意味する文字を使ったのも的確だ。
短歌という器の中に、こんなにも大きな景色と時間を込められるのだ。すごいとしか言いようがない。