丸山るい「静かな会話」『短歌研究』,2020.09
このうえなく静かな、うつくしい忘失の歌。
「すこしずつ花の領土になっていく」。じわじわと、長い時間をかけて伸びてゆく自然の「花」。
「なっていく」と現在進行形で語られているので、この時点では「花の領土」は拡げられつつある状態です。
そして下の句。ここで「領土」として侵されているのは、にんげんの住まいであったはずの「家」。
語り手は、いつか目にしたはずのその「家のかたち」をどうしても「思い出せない」、
その〈できない〉という状態のただなかに身を置いている。
この歌の煌めきは、一貫して動詞に現在形が用いられているところ。
読み手であるわたしたちはこの歌の未来を想像する。
「花」に侵されてゆく「家」の光景を思い浮かべ、そのさきの物語を補完させることを可能にする語り。
そこにあるのは、視界にいっぱいの緑、花、立ち枯れ、風、空。
そうして、世界から完全ににんげん性ののぞかれることによって、覆いつくすほどの鮮やかな色彩に圧倒されるのです。